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 きょうの朝日新聞「ひととき」には「マジ」ということばを初めて聞いたときの驚きが書かれています。

 マジは芸能界用語であることはおわかりでしょう。

 芸能界は虚飾の世界なのでほとんどのことは絵空事。

 つまり、うそなのです。

 つまり、つまり、嘘つきが成功する世界なのですよ。

 でも、人間である以上、たまには本当のことを言わねばならないときもあります。

 そのようなときの前置きが「マジ」なのです。

 でも、でも、よく考えてみて下さい。

 ひとはいつも必ず「マジ」の世界だけで生きているのでしょうか。

 「ひととき」の裏面の「即興の知恵で生きぬく」をお読みください。

 このように、何かと理由をつけて他人に無心をする方はどこにでもいるものです。

 いや、自分を顧みても親兄弟に無心をしなかった人などいないのではないでしょうか。

 ひとはみな調子が良いのですよ。

 自分のことはケロリと忘れることができるのです。

 それらのことを思い知らせてくれる人々が芸能人なのではないでしょうか。

 私たちもまた、いいにつけ悪いにつけ虚飾の世界に生きています。

 私たちは好むと好まざるにかかわらず虚飾の世界で生きていかねばなりません。

 いやおうなしに。

 そのパーセンテージにより、人格が評価されます。

 その虚飾の見せ方もいろいろ。

 たとえばタモリなどは、その境目がどこにあるのかわからないことが売り。

 全部見せて、どうにでもしてくれ、というのがタケシ。

 私たちは、これらを参考にしつつ、自分のパーセンテージを作っていかねばなりません。

 ひとは誰でも虚飾の世界を生きているのですから。


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1/27 朝日新聞23面 「投稿からマジ?な展開」

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1/27 朝日新聞24面 「即興の知恵で生きぬく」
足元を見る=街道筋や宿場などで、駕籠舁き(かごかき)や馬方(うまかた)が旅人の足元を見て疲れ具合を見抜き、それによって値段を要求すること。

 近代になっても、宿の客引きなどは下足を見て客の懐具合を判断しました。

足元につけこむ=相手の弱みを把握してつけこみ、自分により有利な結論を導くさま。

 芸能プロダクション詐欺などの常とう手段です。

 いずれも、こざかしい悪だくみで、人の風上にも置けないやからのすること、とお思いでしょう。

 しかし、よく考えてみて下さい。

 実は、これらのことを最大に利用するのは神様仏様なのですよ。

 まず、神社仏閣はこけおどしのため、壮麗な建築物で飾り立てられています。

 これらは神様仏様が造ったものではなく、人間が造ったものなのですから、よく考えればその正体がお分かりでしょう。

 人の心を安心させ、信じさせるための大道具です。

 それらの中で神職や仏教者はいろいろな小道具を使い、演じています。

 それが人の足元を見たり足元につけこむ作業なのです。

 やり方は教育者や医者と同じで玉石混交。

 身すぎ世すぎだけのものもいれば、真実人の為に尽すものも。

 しかし、いずれにしても、何かにすがりたいという人の弱みにつけ込むことから始まります。

 そして、それらのことは社会的なこととされているので、税制で優遇され、畏敬尊敬の対象ともなっているのですが。

 このことが逆にオウム真理教などの犯罪組織の隠れみのになっていることも事実でありましょう。

 とはいえ、大多数の迷える子羊たちは素直にこのシステムの中に取り込まれ、安住の地と思っています。
 
 ところが、この多くの人が信じている神や仏を信じない素直でない人もいました。

 宮本武蔵は自分自身だけを信じ、その筋道を五輪の書に著しています。

 織田信長は神や仏を信じないどころか、自分が神や仏になろうとしました。

 ブッダもキリストも、もともと人間なのですから、信長の考えは正しいと思います。
 
 今ある様々な新興宗教は信長のような人がやっているのでしょう。 
 
 つまり、もっとも神や仏を信じていない人が教祖様なのです。

 教祖様こそ、この世の最高職にして最も無信心な方。

 天皇陛下を考えればお分かりでしょう。


 人の弱みにつけ込む最たるものは神と仏。

 このことを心の片隅に置いておきましょう。

 以外にもこの真実に着目するのは幼少の子供たちで、大人たちは当たり前の日常生活にうずもれ、気がつきません。

 徒然草の最後は8歳の兼好法師が父親に疑問を呈することで締められています。

「仏とは何者でしょうか」

「仏は人間がなったもの」

「人間がどうやって仏に」

「仏の教えを受けて」

「ではその仏には誰が」

「前の仏に教えられて」

「その最初の仏はどんな仏か」

 こたえられなくなった父は

「それは天からふってきたか、土からわいてきたのであろう」

 と笑ってごまかします。

 兼好法師のような子供や、お賽銭の本質に迫ろうとする子供たちは道徳の教科化でどう評価されるのでしょうか。

 
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神社

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寺院
 怒りには二種類あります。

 一つは社会的怒り、もう一つは個人的怒り。

 社会的怒りについて、きょうの朝日新聞「折々のことば」で「私たちは今、ちゃんと怒れているだろうか。」といっています。

 「萎縮の海に率先して溺れている」とも。

 昔から、口は災いのもと・舌は禍の根・雉も鳴かずば撃たれまい・蛙は口から呑まれる、などといわれているので「萎縮の海」は今に始まったことではないでしょう。 

 「怒りの眼差し」を嘲笑する風潮はいつごろから始まったのでしょう。

 「べつにー」や「どうでもいいじゃん」が、はやり始めたころからでしょうか。

 そのころから、感動や悲しみを、あらわにすることも嘲笑の対象になってきたような気がします。

 しらけ世代の台頭ですね。

 無気力・無関心・無責任+無感動・無作法=五無主義

 五無主義=虚無主義

 虚無主義は昔からあったのですが、今ほどの広がりをみせたことはありません。

 しらけ世代が大人になってきたのだから当たり前かも。

 しらけ は市民・国民(シチズン)を放棄したことになるでしょう。

 Citizenとは「その国の自由民として権利と特権を有する」ことなのですから。

 「自由と権利」は多くの血を流して封建領主や帝国主義国家からシチズンが勝ち取ったもの。

 次の新しい世代の方たちは、これらのことをよく学んだうえ、自由と権利を行使してください。

 「しらけ」を「くろけ」にするのは無理なので新しい世代に期待するしかありますまい。

 一方、もう一つの個人的怒りは社会問題になってきています。

 個人的怒りを外に排出すると他人を傷つけてしまいます。

 多くの他人を傷つけることが社会問題なのですね。

 それと同時に自分自身を傷つけることが恐ろしい。

 それがパーソナリティー障害などの病気ということになるのですが。

 怒りは突発的な感情なので持続する時間は6秒ほど、とのこと。

 なので、6つ数えて怒りをコントロールしましょう。

 私が、ひとーつ、ふたーつ、と数え始めると、妻は「また、おまじないが始まった」というのですが・・・。


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9/26 朝日新聞 「折々のことば」
 最近、やたらと美人が増えたような気がしてなりません。

 右も左も、あちらも、こちらも美人だらけです。

 すでにお分かりでしょうが、これらの美人さんは皆マスクをしているのですよ。

 新型コロナウイルス対策のための。

 それにしても、顔を半分以上を隠して眼だけ見えるようにするとなぜ美人になるのでしょう。
 
 もっと極端に殆んど目だけしか見せないイスラムの女性は皆さん絶世の美人に見えます。

 なぜ、そうなるのか考えてみました。

 目以外に残された部品は鼻と口しかありません。

 鼻は低くても広がっていても美人はいますよね。

 すると、問題は口でしょうか。

 どうも、口というより口元のような気がします。

 目と鼻と口はお化粧で多少ごまかせますが、口元をごまかすのは難しいでしょう。

 ぽかんと空いていたり、しまりのない口元はごまかしがききません。

 このだらしない口元をマスクでかくすと、だれでも美人になれる、との理屈でいかがでしょうか。

 再開した昼間の散歩で、帽子をかぶり、サングラスをかけ、マスクをした男をよく見かけます。

 どう見ても銀行強盗ですね。

 そのままの姿で郵便局などには行かない方がよいでしょう。

 でも精悍に見えるのですよ。

 サングラスをはずすと、その辺の暇なおじさんになってしまうのですが。

 男は目を隠すと、ちょい悪の魅力が、女は目だけ出すと、ちょい美人になる。

 これが結論のようです。


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月と花
 前衛と後衛という言葉は、日常ではバレーボールやテニスのポジションとして使われるくらいでしょうか。

 もとは軍事用語と思うのですが。

 古くは「さきがけ」と「しんがり」といったようです。

 魁と殿と書きますからその重要さがお分かりでしょう。

 秀吉は浅井戦で敗走する信長軍の殿(しんがり)をになったことで出世しました。

 さて本題は文化的意味の前衛です。

 きょうの朝日歌壇俳壇には「うたをよむ 好奇心と実験精神」と題して、前衛短歌運動の小史が記されています。

 寺山修司はともかく大橋巨泉・山下洋輔などの名前が出てくることからして異色の記事でありましょう。

 山下洋輔には俳句や短歌のリズム、それに3,3,7拍子などを使った名曲があります。

 これらの曲が始まると、会場は騒然とし、終わるとスタンディングオベーションになるのですが、それは日本でのことであって、外国でやってもあまり受けません。

 高度な音楽を理解するにはするには、それ相応の予備知識が必要なことのあかしでありましょう。

 それは昨日の記事の最後に書いた学習ということで、それが突き進んでぶち当たったところが前衛なのです。

 音楽番組で言うと「コンテンポラリーミュージックセレクション」は東京FMで渡辺貞夫が何十年もやっていました。

 渡辺貞夫はジャズの大御所ですが、ジャズと言わないところに彼のポリシーがあったのでしょう。

 私の愛聴番組は日曜朝のNHKFM「現代の音楽」。西村明が解説し、加古隆・いずみシンフォニエッタなどの世界に誇る名人たちが出演します。

 でもこれは、普通のクラシックやジャズを聴き飽きた人か、よほどの変り者が対象なので一般の方にはお勧めしません。

 こういえば怖いもの見たさで、ふれてみる方がいるでしょう。それが狙いなのですが。

 さて私は、後衛には文化的後衛もあると思うのですよ。

 音楽では、古楽や古楽器、バッハの研究などがそれにあたるでしょう。

 バッハはみなさんバロックとお思いでしょうが、実はそれより古いルネサンス音楽なのです。

 それなのに前衛音楽家が束になってもかなわない神のような人。
 
 その時代はオルガンを除いてはおもちゃのような楽器しかなかったし、実音も半音ほど低かったのに。

 今でも三味線は、正式にはB#FBのチューニングですが、古楽器も実音はそうだったようです。

 宇宙科学やウイルス学なども後衛追及の最たるものと思うのですが。

 宇宙科学は100億年以上にさかのぼる学問。ウイルス学は細胞や菌類以前の学問ですから。

 「さきがけ」と「しんがり」は文化面でも、まさに、魁と殿でありましょう。


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9/6 朝日新聞9面 朝日歌壇俳壇 「うたをよむ 好奇心と実験精神」