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 今日の朝日新聞読書欄に壇蜜さんの日記「結婚してみることにした」が紹介されました。

 壇蜜さんは民放や雑誌だけでなく、NHKや朝日新聞の御用達タレントです。

 壇蜜の檀は仏壇の檀、密はお供え物とのこと。

 つまり、仏教者なのですよ。

 しかも悟りを得た。

 壇蜜さんは雅と俗・清と濁・知性と本能・度胸と愛嬌など、相反する2つの要素を持っているので万人に好かれるのでしょう。

 そして「時分の花」はもちろん、「離見の見」も理解し、何よりも「秘すれば花」の達人です。

 芸能の道理をこれほどまで具現化している方をほかに知りません。

 近隣の赤羽に住んでいることも好ましく思います。

 いつの日か買い物などで、ばったり会えることもあり得るでしょう。

 尊敬し、あこがれています。


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5/2 朝日新聞 19面 「枯れた」文でテンポよく
 落合恵子さんは、社会が定める「こういうもの」と衝突ばかりする日々をおくってきたが、それはそれで悪くはなかった、といっています。

 社会の決まりきった価値観に違和感を感じたということでありましょう。

 自分の価値は自分で作るしかありません。

 宮沢賢治や金子みすず。

 古くは円空や木喰。

 近代では多くの民芸作家。

 現代では窪島誠一郎氏など。

 みんな、社会が定める「こういうもの」と衝突ばかりする日々をおくってきました。

 いうなれば、みな自分の価値を自分で作った方々です。

 つまり、新しい価値の発見者ということができましょう。

 この、新しい価値の発見こそが、我われクロマニョン人をここまで発展させた起爆剤なのです。

 古い価値しか認めなかった同じホモサピエンスのネアンデルタール人は絶滅しました。


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3/17 朝日新聞 折々のことば
 10代目坂東三津五郎は「鏡は見てはいけない」と、いわれて育ったそうです。

 「形ばかり気にして内容がおろそかになる」から、とのこと。

 これは「離見の見」の極意でありましょう。

 実は鏡に映らない部分の方が大切なのです。

 スキーでも音楽でも文章でも何でもそう。

 映像や録音や口立てで真実は表現できない。

 それらでうまく行ったと思ったらとんでもない。

 その向うに大きなヤマが。

 それに気がつくか気がつかないか。

 気がつかない方が幸せかもしれません。

 真実は鏡に映らないから。

 少なくとも左右は逆でしょう。

 そういうことをいっているのではないのですが。

 嗚呼!

 やっぱり不幸せだ。


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3/15 朝日新聞 折々のことば
 あちこちに椿が咲いています。

 椿は日本原産の植物ですから、至る所に名所があり、近隣では川口グリーンセンターや足立区都市農業公園が有名です。

 ゆえに、古くから詩歌に詠まれ、万葉集にも何首か取り上げられました。
 
巨勢山の つらつら椿つらつらに  見つつ偲はな巨勢の春野を

川の上の つらつら椿つらつらに  見れども飽かず巨勢の春野は

 などが。

 これらはメロディーをつけて歌われていたのでしょう。

 私が若いころよく歌った、りんりんりんどうはこむらさき、という歌謡曲に言葉の導き方がそっくりですから。

 いわゆる、序詞(じょことば)というもので、現代の創作オノマトペのように自由に付け加えられたようです。

 「つらつら」は「つやつや」の意味と葉が「連なる」ことを重ねたものでしょう。

 「つらつらに」は「つくづくと」ですが、「つらつら」を前に置いて同音反復することによって勢いがつき、意味が深まり、メロディーを印象的します。

 椿は春に先駆けて花をつけ、春の到来を告げるもの。それにいち早く出会えた喜びにあふれる気持ちの表現がすごーい。

 どのように歌われていたのでしょうか。

 現代では歌会始めや曲水の宴などから推測することしかできませんが。

 もっと、朗々としていたのかなー。

 もっと軽やかなものだったのかなー。

 なお、曲水の宴は(えん)ではなく(うたげ)といいますから、意味は歌餉でありましょう。

 今も昔も宴会には歌とごちそうがつきものだったことが分かります。


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ご近所の椿

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ご近所の椿
 
   今年最後の満月 

  日本では寒月という

  広島も長崎もみているだろう

  英語ではコールドムーンという

  沖縄もハワイでもみているだろう

  ペシャワールではなんというのだろう

  みんながみんな見ているだろう同じ月を



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 寒月
 
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 寒月 

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 寒月