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 きょうの朝日新聞に「伝わる文章の書き方2 テンプレートを知ろう 最低三つのパターンを覚える」との記事が掲載されました。

 文学や音楽の形式は心理学や大脳生理学から派生したものですから、関連性や共通性があります。

 それらを考えてみましょう。

 伝わる文章の書き方は結論優先型・列挙型・ストーリー型の3つに分類されていますが。

 結論優先型は歌謡曲でいえば「五月のバラ」、映画音楽でいえば「慕情」、クラシックでいえば「運命」など、イントロなしでいきなりコケ脅しのフレーズが出てくるもの。このように躊躇せずにおもいきり脅かすことがポイントでありましょう。

 列挙型の代表は「荒城の月」「ビバルディの四季」など、季節や朝夕などの時間変化、心の移り変わりなどを表現することに適しています。

 ストーリー型は「シクラメンのかほり」のように香りのないものでさえ、あるようにでっち上げるのがコツ。しかも、エンディングはトニックではなくドミナント。まだ続きそう。文章なら「・・・。」ですね。
 
 俳句やコンチェルトは序破急でできています。

 ソナタやシンフォニーは起承転結そのもの。

 漢詩の音韻は西洋音楽の二部形式と全く同じです。

 もっとも、最近の漢詩は音韻を無視しているのでストーリー型になってきているといえましょう。良寛さんはすでにそうだったので先端を開いた人ともいえます。

 以上、知ったかぶりを披露してしまいましたが、肝心なことは自己表現であること。

 自分のいいたいことが、いえていれば、形式などは、どうでもいいのです。


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4/10 朝日新聞be 5面 「伝わる文章の書き方2 テンプレートを知ろう 最低三つのパターンを覚える」
 言葉には心に残る言葉・心を素通りする言葉・心をあしらう言葉の三態があります。

 朝日新聞経済気象台の「心を動かす言葉とは」には「問題ない」の連発で悲しいほど、恐ろしいほど素通り言葉しか発することのできない菅さんと、「寄り添う」「向き合う」などと受け流してあしらう安倍さんのこれまでが書かれています。

 それに対して天声人語には「辺野古への基地押しつけは、琉球処分の総仕上げだ」「普天間基地をなくす代わりに新たな基地をつくるというのは、口先で猿をだますようなものだ」など、一度聞いたら忘れられない心に残る言葉が記されています。

 私たちは言葉を通じてしか人を動かすことはできません。

 言葉はそのためにあるといっても過言ではないでしょう。

 「心を動かす言葉とは」 

 皆でよく考えてみましょう。

 素通り言葉・あしらい言葉は避けたいものです。


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10/30 朝日新聞 12面 経済気象台の「心を動かす言葉とは」

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10/30 朝日新聞 天声人語
 言葉がないと生きて行けない。生きるためには言葉が必要。
 文字であろうと、音声であろうと。手話であろうと、絵文字であろうと。

 それらによって、私はあなたとつながり、みんなとつながり、世界とつながります。
 そして、最も大切な自分自身とつながります。

 よく、無人島へ1冊だけ本を持って行くなら何を選ぶ、という話題になりますが、それは自分と向かい合い、自身と語り合える本になるでしょう。

 沈黙の中で自分と自身が語り合う。
 どんなに騒然とした中でも、どんなに忙しく動いている中でも、それはできます。
 おそらく、マラソン選手などは自身との語らいの達人でありましょう。

 言葉は時空を選びません。
 どんな過去でも未来でも通じます。どんな遠くでも、たとえば神様仏様でも通じます。
 アリストテレスや紫式部とも、キリストや天照大神と語り合うこともできるし、ハイジやアトムと遊ぶこともできます。

 父母の言葉で忘れられないものはありませんか。先生の言葉で心に残っているものはありませんか。青春時代の友の言葉、好きだった人の言葉、いやな奴の言葉、ひとつ一つの言葉に、みな物語があります。

 そして、ドストエフスキーやマルクスの文字の海に浸り、シェークスピアや世阿弥の芸能に親しむ。
 これらはすべて言葉ありてこそ成り立つもの。

 人は言葉がないと生きていけない。
 言葉は人が生きるのに必要欠くべからざるもの。
 言うなれば、言葉は脳にとっての、水であり、食糧でありましょう。

 ゆえに、
 以心伝心、いけません。
 不立文字、とんでもない。
 見て盗め、ひどい話。

 それらはみな自分自身の言葉にしてから自分自身の中にしまい込む。
 他に方法はありません。


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4/4 朝日新聞 3面 幻冬舎広告
 子供のころ、OMちゃんという聾唖者(ろうあしゃ)がおりました。

 OMちゃんといっても 40歳ほどのおばさんですが、近所のだれもがそう言っていました。

 必ず、必ず、木喰仏のような笑いを浮べながら、1日に1回、わが家の前を通ります。

 珍しく、その仏様のような笑顔がなかったある日、OMちゃんは幼い私に話しかけてきました。

 「あ、あー、あっ、あ~、あ゛ー、あぅー、あ゛ぃ~、あーぇあ゛~」

 何を言ってるのか、さっぱりわかりません。

 お天気のことでも言っているのかと思い、「あったかいね」と言ったのですが通じていないようです。

 当たり前ですが日本語で何を言っても通じません。

 仕方なく、私も「あ、あー、あ~」と言ったのですが。

 そしたら、急に怒り始めました。聞こえてないはずなのに。

 凄い見幕で「あ、あー、あっ、あ~、あ゛ー、あぅー、あ゛ぃ~、あーぇあ゛~」と前と同じようなことを言います。
 
 私には同じようにしか聞こえないのですが、明らかに怒っていることがわかります。

 馬鹿にしたつもりはないのですが、ごめんなさい、ごめなさいと言って逃げかえりました。

 私は今でも思い出します。OMちゃんは何を言いたかったのだろうと。

 今のように個別教育が進んでいれば、手話を習ったり、発声教育を受けたりして、言いたいことを言えたのだろうに。

 知的障害の私の姉は 60歳を過ぎてから自分の名前を書けるようになり、1000円以内の買い物もできるようになりました。

 丁寧に教えてくれる方がいれば、いくつになっても人は進歩するものです。たとえ障害者でも。

 今日の朝日新聞記事 【あ゛~】 を読みながら、幼き日のできごとを思い出しました。

 記事には「だみ声などの音を、濁点によって明示した」とありますが「幼き日のできごと」を経験した私には、もっともっと深い表現が隠されているような気がしてなりません。

 おそらく、「あ~」や「あ゛~」は人類共通の言語であり、もっとも表現力の多彩なもの、と言えるでしょう。

 なお、OMちゃんを覚えている方は既に片手で数えるほどしかいないと思いますが「OMちゃん」の表記で必ずわかると思います。


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8/24 朝日新聞 be 3面 【あ゛~】 表記上のすぐれた発明
 朝日新聞の文化文芸欄に「カギ括弧が奪う自由」との記事が掲載されました。

 まずは、そちらをご覧下さい。


1 カギ括弧が奪う自由
6/12 朝日新聞27面 カギ括弧が奪う自由


 筆者のいう通り。カギ括弧は書き手にとってすこぶる便利なもの。いろいろな使い方ができるので気持ちよく多用してしまいます。
 ところが読み手はその意図をいちいち判断しなければならず、頭が疲れてしまいます。あまりにも多すぎると、目も疲れますね。

 同じような事が読点でも起こります。文章の中に「、」が多すぎると、ぶつ切りの言葉をつなぎ合わせるために目と頭が疲れてしまいます。ところが書き手にとっては、これが気持ち良くてなりません。

 句読点やカギ括弧など文字以外の記号の使い方には規定がないので、書き手の裁量に任されています。

 ・(中黒)は、よく外国人のセカンドネームとファーストネームの間に使われますが、私はそれをしません。その場合は半角開けて処理し、中黒は並列を連記するときにのみ使っています。
 なぜかといえば、日本名でも辻・村正とか辻村・正ではなく、辻 村正とか辻村 正のように表記されるからです。

 並列連記に読点を使ってしまうと読点が読点の役割をしなくなってしまいます。

 会話文をカギ括弧に入れる場合、最後の句点は省略しています。煩雑になるので。

 私はこのようの扱い方をしていますが、大きくはプロとアマの使い方、つまり業務用と学校用があるようなので、ここをクリックして参考にしてみて下さい。