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 昨日の朝日夕刊で長谷川櫂さんの「言葉以前の世界」ともいうべき文章を読みました。

 俳句はわずか15文字・15音だけを用いて世界を表現するのですから、言葉以前の世界についても敏感にならざるをえません。

 これは音以前の世界に敏感な音楽家と同じ感覚です。

 名曲の多くはアウフタクト(弱起)、つまり、音を出す前に休止符があるのですが、ベートーベンの「運命」などは、その典型でありましょう。

 演奏者は、ンダダダダーン、ンダダダダーンのンの部分に最も神経を使います。

 武満徹は「音、沈黙と測りあえるほどに」の中で「運命」は吃音表現そのもの、と言いきりました。

 私は「言葉よりも大切なもの」の中で、熊谷守一の絵画も吃音表現の1つではないか、のように言っています。

 吃音感覚はあらゆる表現者の原点かもしれません。

 特に言語体系では韓国語の濃音にその感覚が色濃く残っている、と私は思います。

 日本語も韓国語と同じ系統ですから、かつてはそうであったのでしょう。
 
 「いった」などの「っ」の部分を最初に言うつもりになれば、あだやおろそかにものを言うことはできません。

 長谷川櫂さんの文章を読んで再び、言葉以前の世界・音楽以前の世界・絵画以前の世界について考えさせられました。

1 627 朝日新聞夕刊3面
6/27 朝日新聞夕刊3面

2 「音、沈黙と測りあえるほどに」武満徹
「音、沈黙と測りあえるほどに」 武満徹