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 「寝るほど楽があればこそ、世間のバカは起きて働く」と、母はおまじないのように言っていました。
 夜遅くまで縫物などをして、もう限界というときに自嘲的に言うのです。
 不器用だけれど働き者だった母にとって、睡眠は自分への精一杯のごほうびだったのでしょう。

 養老孟氏は、死も睡眠も意識がなくなるという点では同じこと、人は毎日死んで生き返るとも考えられる、と言っています。

 とすると、私は死んで生き返るのは1日1回どころではありません。
 午前午後に仮寝や昼寝をするので、1日3回か、それ以上になります。

 子供のころを思い出してみると、今以上によく眠っていました。
 いくら眠っても、これでよいということはなく、勉強など全く手がつきません。

 目が覚めると、傍らにはいつも犬と猫がいましたから、彼らと同じ時間眠っていたことになりますね。

 犬や猫は夜行性ですから昼間寝るのは当たり前でありましょう。
 もしかして、人間も発生当時は夜行性だったのではないでしょうか。
 子供や老人が、長々と昼寝をするのは、人間がまだ動物だったころのなごりなのかもしれません。

 犬や猫は食べるときだけめんどうくさそうに起き上がって、食べた後はまた長い間寝ています。

 もっとも、ナマケモノは1日中寝ているし、熊は何カ月も冬眠をします。

 それでは生きている意味がないのではないかと思うのですが、逆に生きているから眠れるのであって、死んでしまったらもう眠れなくなる、とも言えますね。

 冬眠している熊にも薄い意識はあるようです。
 人間も、達観した高僧などは薄い意識の中で生きているのでしょうか。

 眠りは意識できる世界ではないけれど、無意識の世界でもないような気がします。

 この世は夢よ、とよく言われます。「邯鄲の夢」や「南柯の夢」など、中国故事にもよく出てきます。確かに、夢の中の暗示と同じ人生を歩んだ人もいたことでしょう。

 それに、70歳を過ぎると時間の短縮感が尋常ではありません。今までの人生がまるで夢のようです。失敗も成功もみな夢の中の事、と考えると、心安らかになります。

 しかしながら、まだ生きていかねばなりません。
 それには半覚醒のような人生を目指すとよいかもしれません。
 半覚醒のような人生こそ、泰然自若・不撓不屈・無為自然の生き方につながるのかもしれませんから


1 眠り猫
眠り猫