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 子供のころ、天にも届くかと思うような2本のケヤキが身近にありました。

 その大きさは1本が森のようで、もう1本が林のよう。片方が少し小さいので幼い私にはそのように思えたのです。
 
 夏じゅう、その森と林の中で遊んでいました。

 日が影ってくると寒いほど。そういう時は葉煙草乾燥小屋の火にあたりながら番人に遊んでもらいました。

 大木の下は夏でも涼しさを通り越して寒いくらいだったのです。

 その後、70年近くたっても、それ以上の大木を見たことがありません。

 100名山を半数以上のぼり、里山も数多く歩いたのですが・・・。

 たぶん、子供の視点と大人の視点の違いが原因でありましょう。

 あの大河とも思えた巴川も、今行ってみると数メートルほどの川幅しかないのですから。

 走っても走っても走りつくせなかった小学校の校庭も今見ると猫の額ほどです。

 今歩くと5分ほどの通学路も30分ほどかかったように思えてなりません。もちろん、セミをとったりヘビを追いかけたりもしましたが。

 要するに自分の体の小ささや視点の低さが周りの物を大きく、そして距離を長く感じさせていたのでしょう。

 これらの幼少時の体験や経験が成人後の人生を決めるカギになった方が大勢おられるのではないでしょうか。

 
幼き日睦みし樹や川学び舎の寸法測る古希の一尋(ひとひろ)


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イメージ
はな1

 「花の写真ニュース」は同級生の小野瀬壽(ひさし)君が毎週発行
しています。

はな2

勤めていたデイサービスセンターのお年寄りたちの心の慰めになれば
と思い、自主的に始めたそうです。

はな3

A3版ですので4分割にしました。

はな4

クリックすると大画面、もう一度クリックすると最大画面になります。
花1

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手紙
      南極のペンギン

高倉健 著  唐仁原 教久 画      集英社



1 nannkyoku
南極のペンギン

 俳優 高倉健の10編のエッセーにイラストレーターの唐仁原 教久(とうじんばら のりひさ)が画とイラストをつけた絵本です。

 語り口は子供けなのですが、内容は深く、実質的には大人向けでありましょう。

 主題のペンギンも1人として数えると、10人の人との出会いと別れがつづられています。

 僕の名前は 高倉健。
 映画俳優の仕事をしている。
 もう40年以上も 映画のしごとをしている。
       中略
 南極へも行った。北極へも行った。
 そこで、いろんなことを、見たり、聞いたりした。
 そして、いろんなことを考えたりした。
 これから、そんな話しをしよう。

 「アフリカの少年」は車の中から目が合っただけの少年との心の中での会話。砂嵐に堪える少年を助けるのは簡単だったが助けなかった。それはなぜか。

 「ふるさとのおかあさん」 
 おかあさんが死んだとき、僕は「あ、うん」という映画の撮影中だった。
         中略
 きゅうに、むしょうに、おかあさんと別れたくなくなって、骨をバリバリかじってしまった。
 そばにいた妹たちは、「お兄さんやめてッ」と悲鳴をあげた。

 子供には恐ろしいかもしれませんが、読み進むとその訳が分かってきます。

 少年のように純粋な心を持った高倉健が数知れぬ人との邂逅の中から10人を選びました。しかも半数以上が遠い異国の人たち。

 私は「邂逅の前に凝視がある」との言葉を恩師から教えていただきました。

 まさに高倉健は自分を凝視するために遠い異国の地まで出かけたのでしょう。

 そして、同じ恩師の言葉で 「邂逅から開眼」と。

 すなわち、凝視→邂逅→開眼、を著したのがこの絵本です。


2 nannkyokuno
目次
 今日の天声人語を見て驚きました。

 高校の現代国語の文学が選択科目になるとのこと。

 文学はすべての芸術の基本です。

 音楽も絵画も彫刻も建築も、とっかかりは、ただそれだけをやればよいのですが、深めるためにはどうしても文学の素養が必要でありましょう。

 ですから、文学を選択科目にするということは、過半数の人が芸術的素養がなくなる可能性、つまり、「美しさ」を理解できない人になってしまうことになります。

 別に美しさが分からなくても生活するには困りませんから、そんな面倒なことで時間を取られたくない、ということなのでしょうか。

 私の父母の世代には文盲の方が、よくおりました。

 また、私の世代ではパソコン音痴が多くいます。

 妹たちには、現代の文盲になってしまうから、やった方がいいよ、とすすめました。

 それなのに、学校教育が「文学盲」を増長する方向に進むとはいかなることなのでしょうか。

 英語の時間を減らしてでも、文学の時間を増やすべきだと思います。

 英語など、アメリカに行けば誰でもできるようになるのですから。


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8/17 朝日新聞 天声人語
 よみうりカルチャー川口の今埜敏子さんが雲流れタンブラーを作成しました。

 赤いグラスに金魚文様をデザインしました。

 赤い金魚が涼しげです。


シートカット完了1
シートカット完了

シートカット完了2
シートカット完了

ブラスト途中1
ブラスト途中

ブラスト途中2
ブラスト途中

完成1
完成

完成2
完成
 早朝散歩で、よくご一緒する91歳のAさんに1945年8月15日の様子をきいてみました。

 3月10日の東京空襲で生まれ育った日暮里を焼け出され、8月15日には川口にいたそうです。

 長男で 16歳のAさんをはじめ、5人兄弟と二人の親がいました。

 空襲ではドラム缶ほどの大きさの焼夷弾が空中で破裂してバラバラになって屋根を突き破り、燃え上がるのを、いやというほど見たそうです。

 そのころから文書情報の仕事をしていたとのこと。
 文書情報とは日本はもちろん同盟国の中国や朝鮮、敵国のアメリカなどの新聞や雑誌を読んで情報を収集する仕事です。

 今でいう内閣情報局の活動になるでしょうか。給料は国からもらっていたそうです。

 戦後も60歳になるまで、その仕事を続けていたといますから、かなりの腕利きだったのでしょう。

 あの時代に中国語・朝鮮語・英語が理解できるということはとびきりのインテリですね。

 恐れ入りました。


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 Aさん
 としのう(足立区都市農業公園)の歌声広場ソラシドへ行ってきました。

 歌声広場ソラシドは、いわゆる歌声喫茶の現代版で歌詞を見ながらピアノ伴奏でみんな一緒に歌うシステムです。カラオケではありません。

 馴れた方でハーモニーをとっている方もおりました。

 カラオケばかりが席巻し、したくもない拍手をして、不愉快になっていた中、なんという心地よさでしょう。

 高原列車は行く・憧れのハワイ航路・翼をください・五木の子守唄・カモメの水兵さん、などを歌いました。

 中でも久しぶりに歌った五木の子守唄が良かったです。

 歌詞の内容が今では考えられないほど悲惨なものなのですが、昔はそれが当たり前でした。

 私たちは子守りという女子若年労働者を知っている最後の世代でありましょう。

 「おしん」の世界は現実だったのです。

 本家の子守りだったTちゃん、今どうしているでしょうか。

 優しく、美しい娘でした。


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パンフレット

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歌声広場ソラシド
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