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原保雄先生のその後 親鸞=マルクス=無為自然


 原保雄先生とメディアを通じて再会しました。ホームページのコンタクト欄に連絡をいただいたのです。
 「短歌の、しきなみ新人賞をいただいたのが縁このフォームに出会いました」とのことでした。

 原先生は中学2年の時の担任で私の精神構造の基盤を作ってくれた方です。
 綴り方教育の実践者でした。児童文学者の国分一太郎や「やまびこ学校」の無着成恭の影響を受け、自由教育を是としていたのです。ゆえに、ホームルームや道徳の時間はいつも作文で、原稿用紙は何枚でも自由に使って良いことになっていました。
 また、学級文庫には大関松三郎の詩集「山芋」・石川啄木の短歌集「一握の砂」・峠三吉の原爆詩集「人間をかえせ」・山本有三の「路傍の石」・戦没学生の遺稿集「きけわだつみの声」・宮沢賢治作品集などがありました。中でも「原爆の子」が忘れられません。学芸会に劇として上演したからです。
 そして、この世にこんなものがあるのか、という運命的な出会いを作ってくれました。それは言わずもがなベートーベンの「運命」。聴きながら、目の前の空間が大きく広がっていき、遠くの方まで見えたような気がしたことを今でも、はっきりと覚えています。

 このようにして私の精神的基盤は培われていったのです。基盤ですから60年近くたった今も変わっていません。

 ところが原先生は、その後キリスト教徒になり、その後々には仏教者になったとの風の噂が聞こえてきました。
 それは先生自身の一途な人生追及の結果がそうさせたのでしょうが、私はついていけなくなり、徐々に疎遠になっていってしまいました。

 実は8年前、ホームページに「原保雄先生」を載せた時、「いつの日か、この文章を原先生が見つけて下さるといいなぁー」という願いを込めました。それが、今回やっと実現したのですから、うれしくてなりません。何せ一日だって原先生のことを忘れたことがないのですから。

 原先生は高校の教師を退職後、自分の時間は他者のために使おうと思い、茨城真宗学院(カウンセリング)を創設した友人の勧めで真宗大谷派東本願寺教師(僧侶)になりました。同時に水府学院(少年院の)篤志面接委員、教誨師にもなられました。
 それから、24年もたち、今は少年院の少年たちが短歌のモチーフにもなっているそうです。
 また、がん哲学外来市民学会の会員でもあり、私がよく出演する万座温泉日進館の支配人とも一緒に活動をしているとのこと。驚きました。

 現在、原先生は石岡市在住。茨城親鸞の会を立ち上げ、その指導的立場にあります。

 親鸞はわが故郷の鳥栖山無量寿寺や冨田無量寿寺のゆかりの方ですから、私は以前から興味をもっていました。

 最初にふれたのは高校生の時のこと。
 鉾田一高の進歩的なH先生等が独身寮で歎異抄(たんにしょう)の読書会をしていたのです。私は隅の方で聞いていましたが、ちんぷんかんぷん。何が何だかわかりません。なぜ革新的な先生方がこんな抹香くさいものを読むのだろうという疑問だけが残りました。
 終わるとレコード鑑賞が始まり、K先生は市村はピアノが好きだからといってカーメンキャバレロをかけてくれました。

 今は歎異抄について少しは分かります。
 親鸞の言葉を水戸河和田村の唯円が書き留めたものなのです。経文のような漢文ではなく書き下し文になっているので分かりやすく、これまで多くの方が引用してきました。

 もっとも有名なのは悪人正機。
 「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」というものです。これは一見ひねくれた表現になっていますが、弁証法的唯物論を知っている方には簡単です。つまり逆の逆は正であるということ。
 普通にいうと、悪人が往生するくらいなら善人が往生するのは当然だ、なのですが、逆に、善人すら往生するのだから悪人ならなおさら浄土へ行けるよ、とのいい回しです。善=悪という対立物統一の法則を少し大げさに善<悪と言っているのですね。善に強い者は悪には弱いが、悪に強い者は善にも強いといますから。
 私はこのことを分かりやすくするために「悪妻は良妻である 良妻は悪妻である」を書きました。

 当時の僧侶は宗派によらず戒律が厳しく、法然や唯円もそれを守りました。ところが親鸞は魚は食うわ、生き物を食うわ、妻帯もするというめちゃくちゃぶり。これは、ある信念がないとできません。
 それはマルクスのいう、下部構造が上部構造を規定する、ということでありましょう。簡単に言ってしまえば、しっかりとした生活がなければしっかりとした思想も哲学も生まれない、ということなのですが。

 そして、親鸞は自らが与えた本尊や聖教をもったまま離れて行った弟子に対して「本尊・聖教は衆生利益の方便なれば、親鸞がむつびをすてて、他の門室にいるというとも、わたくしに自専すべからず」といいます。
 「仏像も経典も生活上の方便ですから(返さなくてもいいですよ)、親鸞に親しまず、ほかに入門しても結構、私に執着しないでください」とのこと。

 親鸞は仏像も経典も生活上の方便で、実体はないものととらえています。これは正に唯物論でありましょう。

 私たちは数多くの実体として存在しないものを抱えて生きています。国や県を見たことがありますか。触ったことがありますか。ピットコインはどうでしょう。貨幣でさえ国が破産すれば紙切れや鉄くずです。
 でも、あると思った方が楽に生活はできます。念仏さえ唱えれば浄土に行ける、というように。

 修業をしたりお題目を唱えさえすれば浄土や彼岸や天国に行けるとの安全弁を構築してきた為政者にとって、王様は裸だといった親鸞は危険極まる人物でありましょう。
 ですから親鸞は越後に流されたわけです。越後からの解放後、茨城県を布教の地に選びました。

 そして、法然の号にもなっている「法爾自然(ほうにじねん)」を唱えます。法爾は、法則のまま、あるがままということ、そこには人に働きかける見えない力が働きましょう。自然は、おのずからしからしむ、外からの影響ではなくて自らそうであること。形而下も形而上も宇宙も含めた自然(しぜん)そのもの、いかなることも他力のまま、親鸞から離れることも含めて、ということ。
 茨城親鸞の会発行の「じねん」はここから取り、原先生が命名したそうです。

 よく考えてみると、これらの親鸞やマルクスが提唱していることは、すべて自然で当たり前、無理のないことです。それを古代の先哲は「無為自然」といいました。
 それは最初はよく分かりません。何もしないことではなく、苦労に苦労を重ね、回り道をした結果得られるものだからです。そのことは「無為自然は至難の業」を読むとお分かりになるでしょう。

 極意を言ってしまえば、バカボンのパパの「これでいいのだ」なのですが、そこまで行くには簡単ではありません。
 もともと「バカボン」は「薄伽梵」と書き、釈迦のことです。

 私には同じ景色が見えてきました。親鸞の歩んだ道と原先生の歩んだ道とが重なって。

 原保雄先生は何も変わっていません。

 私が教えていただいた中学2年の時そのままです。

 親鸞=マルクス=無為自然

 原保雄先生も・・・。


1生かされて1
「じねん」第74号 茨城親鸞の会 令和元年7月1日発行 「生かされて」 1

2生かされて2
「じねん」第74号 茨城親鸞の会 令和元年7月1日発行 「生かされて」 2

3生かされて3
「じねん」第74号 茨城親鸞の会 令和元年7月1日発行 「生かされて」 3

4人生は邂逅である
人生は邂逅である

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さいわいニュースレター第15号