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 早朝散歩で、よくご一緒する91歳のAさんに1945年8月15日の様子をきいてみました。

 3月10日の東京空襲で生まれ育った日暮里を焼け出され、8月15日には川口にいたそうです。

 長男で 16歳のAさんをはじめ、5人兄弟と二人の親がいました。

 空襲ではドラム缶ほどの大きさの焼夷弾が空中で破裂してバラバラになって屋根を突き破り、燃え上がるのを、いやというほど見たそうです。

 そのころから文書情報の仕事をしていたとのこと。
 文書情報とは日本はもちろん同盟国の中国や朝鮮、敵国のアメリカなどの新聞や雑誌を読んで情報を収集する仕事です。

 今でいう内閣情報局の活動になるでしょうか。給料は国からもらっていたそうです。

 戦後も60歳になるまで、その仕事を続けていたといますから、かなりの腕利きだったのでしょう。

 あの時代に中国語・朝鮮語・英語が理解できるということはとびきりのインテリですね。

 恐れ入りました。


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 Aさん