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         50年後の風景と社会経済

 私たちの子供の頃、初秋の風物詩といえば、まず、薄尾花でした。

 古美術文様にも秋草として描かれているので、おそらく古くから、そうだったのでしょう。

 ところが中学生になって初めてセイタカアワダチソウを見たと思ったら、あっという間に日本中の野原を席巻し、ススキの原っぱが無くなってしまいました。

 もうこれからは「船頭小唄」や「昭和枯れすすき」のような歌は作られないでしょう。

 それに陶器や漆器の秋草文様も、これは何ですか、と言われるにちがいありません。

 考えてみるとセイタカアワダチソウは、まるで私たちの経済活動と連動するかのように増殖し、今また同じように停滞しています。

 この間ちょうど半世紀がたちました。

 あと半世紀たったら日本の秋の風景は、そして日本の社会経済はどうなっているのでしょう。

 「100年前、セイタカアワダチソウという毒々しくて醜悪な植物とともに団塊の世代という人たちが現れてね」
 「寄って集(たか)って巨大ダムや原子力発電所、高層ビルやら大型ショッピングモールを際限なくつくり続け、日本の気候や風土をメチャめちゃにしちゃったのさ」
 「今の人口は8500万だから再生可能エネルギーだけで充分やっていけるんだ」
 「でも、いらなくなった巨大施設を撤去しようにも、莫大な借金を残されちまったおかげで、どうすることもできないんだよ」
 「それに核廃棄物は、この後100年どころか何万年もの間、子々孫々の負担になるのさ」

 廃墟を眺めながら咎(とが)める子孫たちを取り囲む日本の秋の風景は、どうなっているのでしょう。

 セイタカアワダチソウに罪はありませんが、私には見たくないものの1つでした。

 50年後の子孫たちにとって団塊の世代のしたことは、思い出したくないものの1つ、見たくないものの1つになってしまわなければよいのですが。


 さてこのところ、里地里山や河川敷に行ってみると、停滞しているセイタカアワダチソウに代わり、再び背の高い黄色い花が目につくようになってきました。

 ちょうど、団塊ジュニア世代と時期を合わせるように台頭してきたこの花は、キクイモといわれる外来植物のようです。

 外来植物の全てが良くないわけではありません。

 松竹梅の梅や竹、朝顔や月見草も元は外来植物なのですから。

 ちょうど、仏教や呉服(呉の国の服)が日本人に馴染んだように、植物も日本の風土に無理なく溶け込めれば、それはそれでよいのでしょう。

 溶け込めないものは、どうも最初から違和感があるようです。

 私たち団塊の世代は日本の歴史に、はたして溶け込めたのでしょうか。

 団塊ジュニアたちはキクイモとともに馴染んでいくのでしょうか。

 団塊ジュニアの子供たちは、やはり日本の秋の風物詩は薄尾花だね、と言えるようにしてくれるのでしょうか。

 荒川河川敷の菊芋の花を眺めながら、そして団塊ジュニアの子供たちが散らかした花火屑を始末しながら、考え込んでしまう今日この頃です。


1 荒川左岸のキクイモ
荒川左岸のキクイモ


2 月とキクイモ
月とキクイモ


3 原っぱのキクイモ
原っぱのキクイモ


4 ススキとキクイモ
ススキとキクイモ

HP
要注意外来生物リスト:キクイモ
コメント
この記事へのコメント
荒川縁にはたくさんのススキが生えていましたが、もう何年も前から殆ど見られなくなりキクイモが咲いています。

チョッと見ると黄色で綺麗ですが外来種はたちまち国産の花を食い尽くすように自分の勢力を伸ばします。

動物も植物も人間までも隅の方に追いやられ細々と生育していくようになるのでしょうか?

四季がなくなるのもジョジョに進んでいるように感じられます。
2013/10/09(Wed) 15:10 | URL | hana | 【編集
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