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 何十億か何百億の資産を持っている知り合いにタクシー代をせびられて驚いたことがある。この手の知人は、もう一人いるのだが、そちらも現金は持ち歩かない。お金のプロはお金を使わないのだ。
 なぜか?
 お金というものの本質を知っているからであろう。

 プロのミュージシャンはBGM(バックグラウンドミュージック)を聞かない。
 なぜか?
 リラックスできないからである。寝ようと思って音楽を聴くと覚醒してしまう。
 つまり、音楽を消費することができない。本能的に音楽の本質を求めてしまうのだ。

 お金を使うだけの人は「お金とは何か」を知らないし、
 音楽を聞くだけの人は音楽の本質を知らなくてよい。
 この事は何に対してでも言える。
 車を使うだけの人は「車とは何か」を知らないし、
 パンを食べるだけの人はパンの本質を知らなくてよい。
 小さなものでは化粧品、大きなものでは原子力など、本質を知らないほうが安心して使えるものさえある。

 そして、いよいよ、本題の本である。
 本も消費するだけ、つまり、時間潰しのためだけに読むのであれば、文章のことなど何も知らなくてよいし、装丁など有っても無くても一向に気にしなくてかまわない。
 むしろ、そのほうが100冊でも1000冊でも圧倒的な数が読めるであろう。
 ところが、時間潰し以外のことを少しでも考えたら、そうはいかない。
 「この文章はこういうとり方もできる」とか、「このエッセイ集には杢調風の装丁がよい」などと考えたら、もうすでに消費者の立場ではなく、本の作り手の立場に立っている。
 だから、逆に言えばプロの作家は、どのような本でも読み流すということができない。
 「私ならばこの部分はこう書く」とか、「この部分はちょっとマネてみよう」などと思いながら読む。
 つまり、本のプロとアマでは読み方が違うのだ。

 もちろん、このプロの心得というのは前出のお金・音楽・車・パン・化粧品・原子力など、何事に対してでも同じであろう。
 私は絵や音楽のことで「魔界、そして非情な世界」という文章を書いたが、こと芸術に限らず、引き込まれ、のめり込まざるを得ないプロの世界は、如何なる世界も魔界、如何なる道も魔道、である。
 敬謙な仏教信者であった白楽天は修行の邪魔になるものに「魔」という字をつけて嫌った。
 「酒魔」は解るのだが、「詩魔」や「書魔」もある。
 白楽天が「詩魔」や「書魔」に負けてくれたがゆえ、吾人は名作に親しむことができるのだ。
コメント
この記事へのコメント
私もお金持ちのお友達がいた。

本当にケチというか合理的というかお金を使わない。

私のようにお金のない人の方が余程金使いが荒い。

長く付き合ったのでお金持ちの生活の実態を大分わかりました。

私たちには縁のない所で相当な金額を消費しなければならない事もわかった。

その道に入らないとわからない事がある事もわかりました。
2015/01/22(Thu) 07:26 | URL | hana | 【編集
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