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                 必死の思い


 少年期、自分の進むべき道が見えてくると、他人様(ひとさま)への迷惑は見えなくなり、やたら図々しくなるようである。

 直木賞作家の出久根達郎氏は中卒で古書店員になってすぐ、手紙と電話で願い倒し、文豪井伏鱒二に会いに行ったときのことを折にふれて書いている。井伏は出久根少年の話をよく聞いてくれ、井伏夫人は都電の乗継案内までしてくれたそうだ。
 同じく直木賞作家で名作「等伯」を著(あらわ)した安部龍太郎氏も井伏宅に無理やり押しかけ、昼食までもご馳走になったそうである。
 有名作家は「押しかけ人」に付き合っていては仕事にならない。拒絶するのが普通なのだが、井伏の場合、おそらく、自分にも同様の「若気の至り」があったのであろう。

 私(市村)は中卒後、大阪府柏原市国分の光洋精工の養成工として就職した。養成工とは給料をもらいながら技術や工学を身につけ、中堅社員を目指して学ぶ者のことをいう。
 しかしながら、音楽への道は捨てられなかった。宿舎の近くの女子高からピアノの音が聞こえてきたからである。
 なんと、思いつめた私はその女子高の校長室に乗り込んで行き、ピアノを弾かせてくれ、と頼み込んだのである。常識的には、どう考えても通るはずのない要求だ。1000人以上もの女子高生が通学している中に汚い身なりの職工が単身乗り込んで行くのだから。
 再びなんと、校長の秦先生はOKしてくれた。秦先生の胸の内が、どのようになっていたのか未だに想像しがたい。
 そのうえ三度(みたび)なんと、指導の音楽の先生までつけてくれた。
 それなのに四度(よたび)なんと、私はたった3か月で大阪を引き払ってしまった。
 大食いの私は微々たる給料を殆ど食いつぶしてしまい、生活が成り立たなくなってしまったのである。
 大阪から戻った私は、夏休みになるとドカ弁を2つ持ち、夜遅くまで故郷の巴第二小学校でピアノの練習をした。
 1年遅れて鉾田一高に入学、卒業して19歳でプロミュージシャンになり、現在に至っている。

 その後、母が亡くなる直前、「お宝」の1つとして古い葉書が示された。
 それには、女子高の秦校長と巴中学の米川校長の大きな連携の輪があったことが浮き彫りになっている。
 幼くして父を亡くした私に、両校長が父のような大きな愛情と信頼を寄せてくれていたのだ。

 少年期、必死の思いからとは言え、図々しくも他人様の好意を利用したあげく、無責任でいい加減な態度を示した恩知らず、それは私です。
コメント
この記事へのコメント
《教師冥利に尽きる》お話しですね!
市村少年の歩んできた道と今存る姿をお二人の先生方は喜んでおられることでしょう…
50年以上も過ぎた今、《結果が出て、人の心を感動させるお話し》は道徳の教科書に載せたい話しです!
2015/02/05(Thu) 05:05 | URL | T | 【編集
夢を持つって大切な事です。
自分の人生を決めるすごいことです。
そしてその夢をあきらめないでやり通す事です。
私も同じような経験をしてます。
一念で勝ち取る事が多々あります。
そして真剣な姿を誰か必ず見ています。
そして助けてくれる人物がすぐそこにいます。
後で考えると不思議な出会いがあります。
そして必要がなくなると自然に居なくなります。
そんな出会いと別れを繰り返しながら精一杯生きてきた自分が今います。
知らないうちに沢山の人の助けをいただいて良い人生だと言える自分で終わりたいです。それには少しずつお返ししていかないと次の世に迎えてもらえません。
どんなことが出来るのか探さないと・・・最後の仕事かな~
2015/02/11(Wed) 21:35 | URL | hana | 【編集
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