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          おじいちゃんが孫に語る戦争

田原総一朗 作 下平けーすけ 絵            講談社



1 おじいちゃんが孫に語る戦争
おじいちゃんが孫に語る戦争


 田原総一朗が生まれた1934年(昭和9年)から冷戦終了の1989年(平成元年)までの日本がかかわった戦争関連の歴史を小学中級生以上に理解できるよう噛み砕いて著わしたものです。
 随所に田原総一朗独自取材の情報がちりばめられており、大人の私が読んでも目からうろこが落ちる思いがしました。

 小学校の成績がわりとよかったぼくは、中学校に進学して「海軍兵学校」に行くつもりでいました。そして、海軍兵学校をでたら、海軍に入って戦闘機のパイロットになり、敵と戦って「名誉の戦士」をとげようと思っていました。それがぼくの夢だったのです。(12頁)

 ぼくはいまから20年くらいまえに、東条の娘の光枝さんを取材し、その当時の話を聞いたことがあります。その女性は、東条が首相になったときに全国からおくられてきたたくさんの手紙を、ぼくに見せてくれました。そのほとんどは、「いくじなし」「ひきょうもの」「戦争をする勇気がないのか」などと、東条を批判するものでした。
 太平洋戦争については、天皇や国民は戦争はいやだと思っていたのに、軍部が暴走したためにはじまってしまったという説がありますが、これは正しくありません。
 東条の自宅にたくさんとどいた手紙をみてもわかるように、当時は軍部だけがアメリカと戦争をしたいと考えていたのではなく、国民の多くがアメリカとの戦争をのぞんでいたのです。
 マスコミはもっとすごかった。(100頁)

 ぼくはいまでも、日本がアメリカへの宣戦布告を12月8日でなく、もう数日あとに予定していたら、はたして日本は戦争にふみきっただろうかと想像することがあります。もし日本が、「世界最強のはずの同盟国のドイツがソ連に負けた。やはりアメリカと話しあいをつづけたほうがいい」と考えなおしていたとしたら、あるいは太平洋戦争はさけられたのかもしれません。(109頁)

 じつは日本も、アメリカが新型爆弾をつくっているということは、うすうす知っていました。それは、「アメリカは原爆をひとつ持っている」という情報でした。広島に原爆が落とされても戦争をつづけた理由のひとつに、もうアメリカに原爆は残っていないと判断したことがあげられます。
 ですから、長崎に原爆が落とされたとき、軍部はたいへんおどろきました。アメリカはたくさん原爆を持っているかもしれないと考えなおし、戦争をやめることにしたのです。
 これもまた、戦争中の日本がいかに正確な情報を持っていなかったかということをしめす実例ですね。そもそも、アメリカとの戦争を決断した東条自身が、世界の情報をまったく知らない人でした。戦争がおわってから、東条は裁判にかけられましたが、あまりにも世界の情報を知らないので、連合国側は、東条は責任をのがれるために知らないふりをしているのではないか、とうたがいました。ところがほんとうに知らなかったので、あらためておどろいたということです。(126頁)

 大人の人たちにも、放送の内容がよくわからなかったようです。そのためか、玉音放送がおわって、大人たちの意見はふたつにわかれました。
 「戦争はまだつづくんだ」という意見と、「いや、そんなことはない。戦争はおわったんだ」という意見です。
 日本が戦争に負けたとわかったのは、その日の午後になって、市役所の人がメガホンで、「戦争はおわった」と町じゅうに知らせてまわったからでした。(133頁)


 じつは、孫の花ちゃんに読んでもらいたくて図書館から借りておいたのですが、母親のほうが熱心に読んでいました。


2 おもな登場人物
おもな登場人物

3 あとがき
あとがき
コメント
この記事へのコメント
田原総一郎さんはワイドショウなど、政治を語る番組に多く出ていて我々が聞きたいことをズバズバ云ってくれるので好きなコメンテーターです。

どんどん読めそうです。

真実と違う報道で当事者の親族も又過酷な年数を生きてきたんですね

戦争はすべての人が悲惨です。
2015/08/25(Tue) 20:25 | URL | hana | 【編集
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