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 高倉健さんと原節子さんが間をあけず相次いで亡くなりました。

 年末から年始にかけて、お二人が出演した映画がたびたびテレビで放送されましたね。

 俳優やタレントの没後特集番組はよくありますが、このお二人に関しては今までとちょっと様子が違うようです。

 私も少し違うと思うので、そのことを考えてみました。

 お二人とも700年来の伝統美、「秘すれば花」を貫いた方なのではないでしょうか。

 「秘すれば花」に集約される考えは能役者の世阿弥が呈したものです。

 世阿弥は風姿花伝に「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」と書き「花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり」と説明しています。

 「花」についての説明はありませんが世阿弥は役者ですから芸能美のことを言っているのでしょう。

 が、後年この考えは芸能者以外にも広がり、わびさびが好まれ、着物は裏地にこったりするような一般的な風習にまでなっていきます。

 ところが、この伝統的美感は71年前の敗戦により大逆転し、自己を誇示しアピールすることを良しとするアメリカ文化に席巻にされてしまいました。

 特にテレビの世界は、そのためには裸になることも、おバカ丸出しになることもいといません。

 そのような中、高倉健さんと原節子さんだけが、この、せつないほど美しい「秘すれば花」を守りぬいてくれました。

 現状では、もうこのような生き方をする芸能者は存在不可能ですから、二度とお二人のような方が現れることはないでしょう。

 この文章のカテゴリーは「歴史の眼 時代の目」です。

 お二人が没したことを700年来の時代の変わり目と思いたいのですが、いかがでしょうか。

 なお、「秘すれば花なり」の本来言わんとするところは「他人に隠しているものは、本当は大したものではない」ということです。
 秘伝は種明かしをすると必ずしも深遠なものではなく、ただ、珍しさや意外性によって感動を生む芸となるだけ、とのことなのでしょう。

 このことは高倉健さんの書かれた「旅の途中で」という本を読むとよくわかります。

 そこにいるのは感受性の強い少年のような心を持った一人の男、ただそれだけ。

 けれど、その「さりげなさ」は誰にもまねができません。


1 旅の途中で
旅の途中で

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コメント
この記事へのコメント
原節子さんは名前だけ知っていて映画を見たこともなく殆ど関心もなく、生きていることが不思議なくらいにしか思いませんでした。

高倉健さんも亡くなって初めて人間性も生き方もしっかりとし、信念を持って生きた素晴しい人だとわかりました。

黄色いハンカチを始めてテレビで見ました。

映画鑑賞に行くこともなく病気と仕事に追われて温泉行くことぐらいで殆ど時を過ごしてきたんだな~と改めて感じました。

今も生きることで精一杯。

友達に恵まれている事が最高の宝物かな~。

話が大分ずれました。
2016/01/19(Tue) 18:04 | URL | hana | 【編集
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