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 58年前の2月14日、私は11歳、つららの垂れる寒い朝、47歳の父は寝床で死んでいた。
 だから、なので、ゆえに、なんと前置きをしてよいのかわからないのだが、「私も47歳で死ぬ」と思い込んでしまった。
 「急いで生きなければ」が、トラウマになってしまって・・・。二十歳で結婚 ・22歳で長女誕生 ・23歳で自宅新築 ・その後次女誕生 ・31歳で再び自宅を新築して母と知的障害の姉との同居を始めた。
 その母も96歳で亡くなり、ふと気がついてみると、なんと私は60歳、こんなに生きるはずではなかった、と思うも、生きてしまったものはどうしようもない、とまた思う。
 思い余って書いたものが遺言書である。

 下記の遺言書は各宛名人に4通のみ手渡したもの。
 肩ひじを張っていてお笑い草ですが、古希を迎えて新遺言状更新の機会に掲載する気になりました。ご笑覧ください。
 なお、ブログのサブタイトル「市なさぬ 村はずれなるかわのへに 安らかにいき 正でにしなん」 は辞世ですが時制を変えています。
 再びなお、「遺言書の書き方」は法定されています。私のものは参考になりません。「遺言書の書き方」はいろいろとあるようです。



                遺言書

一、 予が死亡に際しては、次のとおり取りはかられたし。
 ・ 葬式及び読経無用
 ・ 戒名及び焼香不要
 ・ 遺体は決して他人に見せまじきこと
 ・ 骨は便利屋に依頼し、人知れず荒川に散布すべし(散歩・漕艇に明け暮れた故)
 ・ 親戚知人には後日知らせるべし
一、 遺産はすべて妻静枝に与う。
一、 姉元子は妻静枝と同居させざるよう取り計らうべし。
   (現在、その方向の途上にあるが、それを続行し、他の親族とも同居させず、公的施設に収容してもらうよう、くれぐれも願い奉(たてまつ)る) 

 予は音楽を愛し、生涯の業とせり。困窮するも、辛うじて家族を路頭に迷わせず、素志を貫き、一ミュージシャンとして過ごせしことを誇りに思う。
 また妻に対し、勝手気ままなる振る舞いにて、筆舌に尽くし難き労苦を与えしこと、悔いても悔いきれず。にもかかわらず、それを許し給い、重ねて知的障害の姉元子の激烈な仕打ちを受け止め、且つ母ふみへの真摯な介護など、その菩薩さながらの心根と天使の如き振る舞いに対し、如何ように感謝しても感謝しきれるものにあらず。よって、予の死後は自由自在勝手気ままに生きるよう望むものなり。
 予は自由に生きた故、自由に死に、死後も宗教などに束縛されず、自由でありたい。
 水に溶け、元素回帰した予は風となり、霧となり、時にはダイヤモンドダストとなっ
て、世界中の誰とでも会い得る。愉快痛快に思う。
 わが志・わが思想・わが願いはすべて、わが書き物と音楽CDの中に有り。予は喜びも悲しみもすべて文章と音楽に託して生きけり。予を偲ぶ者あらば、予の音楽を聞きながら、書き物を御覧あれ。

                  辞世
市なさぬ 村はずれなるかわのへに 安らかにいき 正でにしぬる

志村浩二・美穂様  塩月卓・ルミ様      妻静枝をよろしく。
細井俊秀・ひろ子様 秋山安司・さと子様   姉元子をよろしく。
予に関わりしすべての皆様            感謝を込めて、さらば。

平成十九年  還暦の日に記す
                             市村 安正


1 兄妹近影
兄妹近影
コメント
この記事へのコメント
すばらしい遺言書です
 市村君の遺言書を読んで感動しました。適切な言葉が見つからないのですがとり急ぎ投稿しました。
2016/02/15(Mon) 20:28 | URL | 小野瀬壽 | 【編集
遺言状を公開できるなんて素晴しいことです。
静枝さんに生きているうちに感謝の言葉を言えるなんてなんて幸せなのでしょう。
私も30代から死を意識していたので、いろいろな事を考えて生きてきました。
お墓をはじめ葬儀場のことを子供たちに言い、自分の死に装束まで用意して生きてきました。
1日1日大事に真剣に過ごしてきたので逆に充実した人生だったことに感謝しています。沢山のひとにお世話になってきたので、いま自分の力を必要にしている人に少しでも返していけたらと思い、其のことを生きがいとして日々生きています。
73歳まで生きて予定外ですが「まだ私を必要としている人がいるからこの世にいるんだ」と思い、生かされていることに感謝しながら、もう少しがんばって生きたいと思っています。
2016/02/16(Tue) 17:04 | URL | hana | 【編集
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