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 山岳雑誌の雄「ピークス」の2月号に北田啓郎氏が特集されています。

 私が銀座のボヌールという喫茶店でハモンドオルガンやピアノを弾いていたとき、目と鼻の先に登山用具店の好日山荘がありました。

 山登りを始めたばかりの私が、その銀座好日山荘に日課のように入り浸っていたとき、大学を出たての北田さんが入店してきました。

 2,3年後には「北壁の43日」を著した遠藤二郎さんや藤田さんが辞めてしまい、北田さんは店長に。

 それからしばらくして独立、「カラファテ」を自営するようになっても交流は続き、結婚式では私がピアノを演奏。
 
 その後、彼が立ち上げた「てれまくり」でもピアノ演奏をしています。

 その「てれまくり」も10回を数えた今年、終止符を打ちました。

 彼のことですから何かまた次のことを考えているのでしょう。

 知り合ってから間もなく半世紀になろうとしています。


1 北田啓郎
北田啓郎1

2 北田啓郎
北田啓郎2

3 北田啓郎
北田啓郎3

4 北田啓郎
北田啓郎4

5 北田啓郎
北田啓郎5


    山の章   奇跡の軌跡より

 山で死なないための方策としてスキーをやる――このことは結果的に大成功であった。スキー自体の魅力に取りつかれた私は岩登りや沢歩きから離れていった。藤田さんが好日山荘をやめてしまい、教えてくれる人がいなくなってしまったことも原因かもしれない。好日山荘には藤田さんの他に「北壁の四十三日」の著書で有名な遠藤二郎さんと新入社員の北田啓郎さんがいたが、北田さんが仕事に慣れたころに藤田さんは退社してしまった。
 さて、雪山を登るために始めたスキーなのだが実際に使ってみると、いろいろと不都合がある。まず、重い。感覚的にはワカンやアイゼンの10倍ほどになろうか。少しでも軽くしようと思い登山靴にスキーをつけると、今度は不安定で滑れない。その頃は性能のよい兼用靴が、まだなかったのである。シールの接着剤も良く剥がれた。いっそのこと紐締めの方が良いかと思い使ってみたが、縛ってない部分に雪が入ってふくらんでしまう。結局、最も快適な方法はスキーをザックの両脇に差し込んでツボ足で登ることであった。これは雪が締ってくる残雪期しかできないが、それで十分だった。新雪など滑れなかったのだ。
 それからしばらくして、好日山荘で修業した北田さんが独立して自分のお店を持つという挨拶状が届いた。クライミングとテレマークのお店だという。クライミングはともかく、テレマークスキーはやってみたいと思ったが、ちょうどその頃の私は目の回るような忙しさであった。昼・夜・夜中、ピアノ・エレクトーン・シンセサイザーを弾きまくっていた。
 まだバブルは続いていたが、世の中の動きを1,2年先取りする私の仕事が暇になりかけた1990年、北田さんのお店「カラファテ」を初めて訪ねた。
 迷うことは何もない。私は2㍍7㌢のカルフの板と2バックルのスカルパの靴を求め、早速、講習会の予約をした。
 テレマークスキーは不安定で頼りなかった。エッジが無いような、丸くなっているような感じがする。ふんばりが効かない。すぐ後ろ向きになってしまう。しかし、たった1つ、何よりも、すばらしいこと、それは軽いことであった。その軽さは感動的でさえある。そして、難しさも……。
 北田さんや「きのこ」の著書で有名な小宮山勝司さん、その友人の松本美富さんなどの薫陶を得て、なんとか滑れるようになった私は喜び勇んで山に出かけた。そして、まず、その歩きやすさ、登りやすさに目を見張った。靴が母指球の部分からしっかりと曲がり、ロボット歩きではなく、人間の確かな歩き方ができる。滑りもスピードが出にくいぶん、思ったより安全である。欠点はスキー板が長くて木に引っかかることと、靴が革製のため、水がしみ込んでくることである。しかし、長さは細さと軽さのためであり、革製であることは歩きやすさのためであるから、どちらを取るかの問題だ。
 根子岳・ 四阿山から万座・至仏山・燧ヶ岳・大白沢山・合津駒ケ岳・月山・鳥海山などは単独行、岩菅山・焼額山から毛無山・栗駒山・八甲田山・富士山などは何人かで行った。
 もう一つの楽しみであるテレマークスキーのレースを知ったのは北田さんの勧めで日本テレマークスキー協会(TAJ)に入会してからだ。アルペンスキーではレースなど夢のまた夢だった。アルペンレーサーは子供のときから瞬発力や持久力は勿論、バランス能力や動体視力を過酷な練習で鍛え上げ、旗門の読み方やライン取りを学んでいる。私のように27歳から始まったヨタルスキーでは太刀打ちができないのだ。ところが、テレマークスキーのレースは旗門と旗門の間が長くとられているので読みやすい。スピードもあまり出ないので私の動体視力でもついていける。必ずあるジャンプは勇気が必要だが、登りやランセクションは体力さえあれば、なんとかなりそうだ。こうして私はテレマークスキーレースの世界にのめり込んでいった。
 最初は1992年3/28、峰の原スキー場でのビギナークラスで3位になった。これは1回しか出られない。次からはポイントレースに進む。シーズン中何回か対戦し、合計点数を争うシステムになっている。93年は1/31黒姫16位、2/28白馬ハイランドクラシック14位。94年・95年も何試合か出場したが大会記録が10位まででカットされている。96年は3/3朝日プライム17位、3/30峰の原17位、トータルポイント9で57位。97年は3/29峰の原20位、トータルポイント2で74位。
 51歳になった98年からは新設されたポイントマスタークラス(35歳以上)に出場。1/25白馬ベイリーズクラシック4位、トータルポイント17で29位。99年は3/7朝日プライムカップ10位、トータルポイント11で33位。2000年は1/30白馬クラシック8位、3/5 朝日プライムカップ15位、トータルポイント19で23位。01年は3/18志賀高原焼額パタゴニアカップ15位、トータルポイント6で32位。02年は2/3白馬ミレーカップクラシック9位、3/17志賀高原焼額パタゴニアカップ23位、トータルポイント12で28位。
 03年になると日本経済の低迷のせいか関東甲信越では栂池と白馬みねかたの2大会だけになってしまった。05年には母親の介護が始まり、日帰りの強行軍になった。出走が済みしだい、結果を待たず、すぐ帰路についた。無理にでも出場した方がかえって精神的に解放され、母にも優しくなれた。主催者の山田誠司さんには旗門通過時の写真を郵送していただいたことを今でも感謝している。08年には母親もかたづき、自由になったのだが肝心の大会は白馬みねかたのみになってしまった。09年も白馬みねかたのみ出場した。
 ところがどういうわけか、10年になったら55歳以上のポイントグランドマスタークラスが新設されるとともに、急に大会の数が増え、北海道を含めて20試合になった。この降って湧いたようなチャンスを見逃すという手はない。1試合のポイントは低くても数をこなせばチリも積もって山となるのである。
 12月の4試合は準備不足で出場できなかったが、固い信念を持った私は1月からの試合の完全出場を目指した。
 ・1/23,24秋田県田沢湖スキー場、3レースとも1位16点、合計48点。
 ・2/20,21長野県山田牧場スキー場の4レース、2位12点・3位9点・2位12点・3位9点、合計42点。
 ・2/27,29長野県菅平スキー場の2レースとも2位12点、合計24点。
 ・3/14福島県裏磐梯スキー場の1レース、1位16点、合計16点。
 ・3/20,21北海道桂沢スキー場の2レースとも1位16点、合計32点。
 ・4/10,11北海道中山峠スキー場の4レース、3位9点・3位9点・1位16点・2位12点、合計46点。
 以上16試合のすべてを完走、トータルポイントは208点になった。ちなみに、トータルポイント2位は92点、3位は89点、4位は19点、5位は16点であるから、私の圧倒的な勝利である。
 こうして私は63歳にして日本一のタイトルを取った。
 山とジャズの先輩の紙谷さんに言われたことが忘れられない。
「山屋は甘い、点数がつかないからね。ジャズメンの考えも甘い、点数のない世界にいるからね。人生は、ごまかして生きちゃ、つまんないものなんだけど……」
 それ以来、何か点数がはっきり出るもので勝負をしたいと思っていた。これでやっと、わが人生に点数がついた。
ここでこの「奇跡」の種明かしをしよう。グランドマスター部門は参加者が少ないのだ。3,4人いればよい方で、私一人の場合も多い。私より速い人は沢山いるのだが、その方たちが出場しないのだ。
 私は田沢湖カップのウェルカムパーティーで指名を受けて、次のようにスピーチをした。
「大会に出場するためには4つの要素を満足させなければなりません。金・暇・体力・気力です。これらのうち最も大切なものは気力でしょう。気力さえあれば他のものはなんとかなるものです。このことは年齢に関係なく共通しています。いくら実力があっても試合に出なければ誰も評価してくれません。ですからレースに出ようという心意気が大切です。気合いだ!気合いだぁ!気合いだぁー!そして最後に試合だぁ―!さあ、皆さんも一緒にポテンシャルアップしましょう。気合いだ!気合いだぁ!気合いだぁー!そして最後に試合だぁ―!」
 私の生涯スポーツはテレマークスキー・登山・カヌーの3つであるがテレマークスキーは、これからも目標を高く掲げてやっていきたい。
 だって、やればやるほど巧くなるし、面白いんだもの……。
コメント
この記事へのコメント
私はスキーのことはよく分かりませんが、大変な歴史があり、愛着を感じてのめりこんでいき、それが年齢を経て生きがいになり、若さを保つ大切な生きる希望になっていくという事が良くわかります。

その気力が持てるか持てないかでこれからの人生が生き生き最後までがんばれるのかもしれない。

戻って来られないこの世を大事に生きたい。
2016/05/03(Tue) 19:39 | URL | hana | 【編集
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