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 3/15 朝日新聞16 面「どう思いますか」の欄に「大学に行く必要はあるのだろうか」との意見が掲載されました。大学に行ってない私はこのような記事を見るとどうしても反応してしまいます。

 私は家庭の事情で奨学資金を受けながら高校を卒業し、進学した音楽専門学校は3か月でやめてしまいました。母が入院したという理由もありましたが、必要ないと判断したからです。
 その後、高齢になった母は私が借り受けた奨学金を年金から支払っていました。私が、自分で払うから、と言っても、これはお母さんの責任だから、と言って聞き入れませんでした。つくづく、奨学金で大学に行かなくて良かったと思っています。

 なぜ音楽専門学校は「必要ない」と判断したかということですが、音楽や美術など、いわゆる芸術は、そもそも教えることも学ぶこともできません。芸術大学は職人さんなどの職業訓練所とは違うのです。では何のためにあるかというと、せいぜい芸術に立ち向かっていくための環境を匂わせてくれる程度の社会的な飾り物でありましょう。
 早い話しが、真の芸術家はオギャアと生まれた瞬間に、すでにその運命が決まっていて、才能のない人がどんなに頑張っても、おいそれとなれるものではありません。この辺りの残酷ともいうべき事情はすでに「魔界、そして非情な世界」に書きました。
 では二流三流の素質の持ち主にとっての芸術活動は意味がないのでしょうか。そんなことはありません。何らかのものを創造することが生きがいであり、その行為が人生を豊かにし、実りの多いものならば、それだけで十分に目的を果たしている、と言えるのではないでしょうか。
 それに芸術的評価は時代によって変わるものです。パリのキャバレーで演奏をしていたエリックサティの作品は長い間二流と言われていました。騒がれるようになったのは最近のことです。
 しかしながら、芸術活動は名を売りたいとか、歴史に名を残したいとかでする行為ではありません。そもそも芸術活動自体には何の意味もないのですから。似ているものとしては禅の修行や修道士の禁欲生活があるでしょう。
 何の意味もないことを無我夢中ですることこそが文化であり、ホモサピエンスの中のクロマニヨン人だけが持っていた資質でした。それを持たない人類は皆滅んでしまったのです。

 さて、「大学に行く必要はあるのだろうか」への私見ですが、行くことで人生が歪んでしまう、と思ったら行かない方がいいでしょう。経済的精神的に無理をしてまでいく必要はないと思います。
 ジャズトランぺッターの日野皓正氏は「大学なんかに行ったら馬鹿になる」と言って数々の子弟を育てました。
 「学問をした馬鹿は学問のない馬鹿よりももっと馬鹿だ」と言ったのはヴォルテールです。
 また、ショーペンハウアーは「旅行ばかりしていると馬鹿になる」と言いました。
 刺激や影響は自分に取り入れてこそ意味があり、それが済まないうちに次々と求めるのは麻薬患者のようなもの。とのことでしょう。

 今となっては、大学もまた社会的な飾り物、と言えるかもしれません。


1 3.15朝日新聞16面
3.15 朝日新聞16 面

2 「どう思いますか」欄
「どう思いますか」欄
コメント
この記事へのコメント
今は所得で学歴が決まるような世の中になっています。

私も和裁が好きで生きている証としてどうしてもやりたいと思い、30歳過てから仕立て屋さんに月謝は払って材料を貸して貰えないか何軒か直接頼みに廻りました。

今の師匠は何回も通ってやっと受け入れてくれてありがたい先生です。

その代わり繕い物から直し物からあらゆるものをやらされました。

資格を取って注文品を縫えるようになっても一人前になるまで賃料は一切いただけませんでした。

自分で解るまで教えてくれませんでした。

そのお陰で今があります。

今も生きて仕事が出来ます。

ありがたいことです。

自分がやりたいことは諦めない限り出来ると思っています。

思いを遂げられたことは幸せなことです。

人と人のめぐり合わせは本当に大事な宝物です。
2017/03/21(Tue) 19:14 | URL | hana | 【編集
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