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 今日の朝日新聞は1面の天声人語と35面の「銃社会 間違っている」でラスベガス銃乱射事件を報道しています。

 アメリカでは銃乱射事件があるごとに銃規制について論じられますが、決してその輪が大きくなることはありません。
 我われ日本人からすると簡単なことのように思える銃規制が、どうしてアメリカではなされないでしょうか。
 それは、銃を制することができるのは銃だけ、という考えがアメリカの常識で、銃のない社会は非常識、だからなのです。そうなってしまったのはアメリカの歴史のなせる業(わざ)でありましょう。
 アメリカがアングロサクソン系の人たちによって、アフリカ系アメリカ人やネイティブアメリカンを銃で追い立てながら建国されたことは明白な事実で子供でも知っているわけですから、その報復が恐ろしくて追い立てた側の人たちは銃を手放せないのです。なにせ、人種差別を禁止する公民権法ができてから、まだ50年とちょっと、たしか私が高校生の時ですから、皆さん恨みつらみを忘れるはずがありません。
 これらのことから考えると、銃を持っている人は勇気があるからではなく、いつ仕返しをされるのかと、びくびくしているからなのです。
 丸腰の日本人高校生を射殺しても無罪になってしまう、ということはこのような臆病者の論理が当然として認められる、ということでありましょう。
 我われ日本人からすると、このような過剰な正当防衛は頭が狂っているとしか思えないのですが、どうも、これが世界の常識であるようです。
 あの北欧の福祉大国ノルウェーでも、ウトヤ島銃乱射事件が起こってしまいましたから。

 この臆病者の論理、何かに似ていると思いませんか、そう、核は核で抑える、軍隊は軍隊で抑える、まったく同じことですね。

 それに対して銃を捨て、核を捨て、軍隊も捨てる、とは何という勇者でありましょう。1946年の吉田茂首相がそうでした。

 今では信じにくいことですが、1946年6月28日の衆議院本会議で日本共産党の野坂参三が日本国憲法草案第9条について「侵略戦争は正しくないが、侵略された国が自国を守る戦争は正しいのではないか」と質問しました。これに対して吉田茂首相は「近年の戦争の多くが国家防衛権の名に於いて行われたことは顕著なる事実であり、正当防衛や国家の防衛権に依る戦争を認めるということは戦争を誘発する有害な考えである」と答弁をしました。これに対して議事堂内から大きな拍手が湧き上がったのです。戦後1年のこの時期は「国を守るという意識が戦争を引き起こすのだ」という考えを国民が持っていたことになるのでしょう。このことはニュース映画にも記録されています。戦後日本の変節より)

 今ではたぶんに、やせ我慢に思えますが、あの悲惨な戦争から時を経ていない当時としては国民共々、本音であったのでしょう。国会内の盛大な拍手は与党も野党も一緒とのことですから。

 今回のラスベガス銃乱射事件でも、その悲惨な状態を体験したミュージシャンが「私は間違っていた。これまでの考えを改め、銃規制が必要」とSNSで発信したそうです。

 誰でも、そんな悲惨な中に入れば、そうなりますよね。

 ところが、核だけは体験することができません。

 ゆえに、世界の指導者は広島・長崎に行くべきです。

 今回のように、一人の無法者が大勢を殺害することにならないよう、それも桁外れに・・・。

 なお、戦後の日本にならって軍隊を捨てたコスタリカは世界をリードする平和国家となり、今では核兵器禁止条約交渉会議の議長もコスタリカの方が務めるようになりました。
 
 このように世界中から信頼され、尊敬される国に、日本こそが成れる、はずだったのですが、現政権は、軽蔑される国になるべく、大きく舵を切りつつあります。


1 朝日新聞104天声人語
朝日新聞10/4天声人語

2 銃社会「間違っている」
銃社会「間違っている」
コメント
この記事へのコメント
難しい問題です。

日本は銃を禁止されているけど殺人は多くなった。

包丁・ナイフで簡単に人を殺せるから。

人間性の問題で思いたったらどんなことでもするような気がする。

銃やナイフを規制してもやる人を規制するのは難しい。

結論出ません。
2017/10/10(Tue) 08:28 | URL | hana | 【編集
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