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      幕末維新 最後の藩主258人 
       藩主たちは何を決断し どう行動したか

  新人物往来社編             新人物往来社


1最後の藩主258人
最後の藩主258人


 明治になっても庶民には国(ネーションステートnation state)の概念がなかなか掴めなかったようです。

 それは徳川幕藩体制があまりにも長かったせいでしょう。

 人々は藩を1つの国と思っていました。

 でも、それはまだ良い方で、「一度でいいから大和田の宿(しゅく)を見てから死にたい」と言っていたひとが菅ノ谷にいたよ」と明治生まれの母はよく言っていました。

 その人にとって、大和田に行くことは海外旅行のように感じられたのでしょう。

 大和田は私の生まれ在所、菅ノ谷は隣部落、私が子供のころの話です。

 テレビ番組の「ケンミンショー」を見ると、隣町同士で全く違う食べ物や習慣が出てきますが、それは何らかの国境(くにざかい)がその場所にあったからでしょう。

 それらが一気に取り払われた幕末期、日本各地の諸侯たちは、それぞれの命運をかけて決断の時を迎えます。

 我が藩主はどう行動したのか。

 そのとき、水戸藩主は15代将軍徳川慶喜の長兄徳川慶篤(よしあつ)でした。

 性格は慶喜と正反対、あだ名は、よかろう様。

 私が子供のころ、お年寄りたちは、お人好しを、よかろう様、と言っていました。

 慶篤にあやかって水戸周辺にだけ使われた言葉だと思います。

 西郷どんは慶喜や慶篤の父の徳川斉昭を尊敬し、何度か水戸を訪れているので、その場面が大河ドラマに出てくるかもしれません。

 この本には明治維新で活躍した藩ばかりで無く、日本全国最後の藩主285人の行動の全軌跡が紹介されています。
コメント
この記事へのコメント
江戸時代から明治に変わったのは今の私達の時代の昭和から平成に変わるのとは訳が違います。

どのように意識を変えたのでしょうか?

全然想像もつきません。

どうしたんでしょうか?
2018/02/07(Wed) 07:03 | URL | hana | 【編集
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