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 今、歴史学の転換がなされています。考えてみれば当たり前なのですが、歴史は少数のヒーローによってつくられたものではありません。種々雑多の人々の生活の積み重ねが歴史なのです。

 時代劇などを見ていても、殿様の言動より庶民の日常に心ひかれることがたびたびあります。わき役が主役を喰ってしまうことも多くの方が感じていることでしょう。
 以外に、これらは歴史学の本質を感覚的にとらえているのかもしれません。

 よく考えてみると社会生活はチームプレーで成り立っています。スポーツや音楽活動は社会生活を凝縮化したものですから、それらを考えてみると分かるでしょうか。

 チームプレーは他人を自分の分身と捉えられるところに、そのだいご味があります。前や後ろに、もう一人の自分がいると思って戦えることは勝てるというだけでなく、とにかく楽しい。
 バンドのメンバーが自分のアドリブに反応して絶妙な合いの手を返してくれたあの感じ。頼みの綱がつながったとき、それこそが楽しさ、幸せの絶頂です。

 そういうチームやバンドをつくるにはどうしたらいいのでしょう。それは信じること。相手を信じることしか方法はありません。そして何よりも先に自分を信じることでありましょう。

 自分は一人でこつこつとこれだけ努力してきた、だからできるはず。などと思っている段階は通りすぎて、ただ無心に自分を信じること。もちろん相手も。

 そして自分と相手は瞬時に入れ替わって主役はわき役となる。いや、わき役こそ主役だ。

 よく考えてみると、働くことも学ぶことも遊ぶことも、みんな自分のためであると同時に誰かのためなのだから。

 一人で出来ない人が、みんなでやってもしょうがない。一人でしか出来ないのでは、みんなと何かをすることは難しい。

 歴史学の大転換はこれらのことが横のつながりではなく、縦のつながりで結ばれることにあるのだと思えてなりません。

 横のつながりは実感できますが、縦のつながりは感じにくいので誰かの都合で書き換えられがちです。

 国会などにみられる誰かに都合の良いキャッチボールやコーラスは歴史の改ざんでありましょう。

 真の頼みの綱がつながっているからこそ、現在があるのですから。


1 わき役こそ主役
わき役こそ主役
コメント
この記事へのコメント
日本もだんだん信じられなくなってきたような・・・バレなければ知らん顔していようとしているひとが沢山います

自分が信じられない人が他人を信じられるわけがない

仲間を作るって難しい

私には素晴らしい散歩の仲間がいます

私の宝物\(^o^)/
2019/03/19(Tue) 14:53 | URL | hana | 【編集
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