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 作家の田辺聖子さんが亡くなりました。

 NHK朝ドラでも放送されたカモカのおっちゃんシリーズが懐かしく思い出されます。けして良妻ぶることなく、むしろ悪妻ぶりをひけらかすような作品でした。

 良妻や悪妻という言葉はあっても良夫や悪夫という言葉はありません。

 良夫は名前として存在しますが、それはその家族の願望を込めたものなのでしょう。

 「良夫」より、むしろ「悪夫」の方が社会的には、それなりの役割をしていたのであまり問題にはならなかったのかもしれません。

 ところが悪妻は社会問題です。
 多分に良妻に恵まれた夫が妻の反乱を恐れ、あえて問題としたのでしょうが。
 自分の妻が野村克也氏の妻のようになってしまったら大ごとですから。

 ところが当の野村克也氏は沙知代さんを悪妻とは思っていなかったようです。著書の「ありがとうを言えなくて」にはその切々たる思いがつづられていますから。

 夏目漱石もそうでした。弟子たちの作品には鏡子さんの悪妻ぶりを取り上げたものもありますし、何よりも彼女が書いた「漱石の思い出」を読むと、どちらも、かんしゃくもちで、いざこざが絶えません。けれども、漱石自体の作品には、そのようなことは皆無です。

 岡本一平の妻は岡本かの子。かの子は若い愛人との同居を一平に認めさせたような天下の悪妻です。ところが一平はそのことに進んで協力しました。そのとき、一平は「髪結いの亭主」ではなく、かの子よりも収入のあった有名漫画家だったのです。
 息子の、あの岡本太郎も、そのような母を尊敬していました。

 与謝野晶子は良妻過ぎて与謝野鉄幹をダメにしてしまいました。
 子供を1ダースも生み、弟子も多数いるなか、夫がパリに行きたいといえばその旅費をねん出し、代議士になりたいといえば進んで協力をするのですが、そのことがかえって鉄幹にはマイナスに働いたようです。

 柳原白蓮(やなぎわら びゃくれん)も良妻賢母の見本のような方でしたが、夫はさっぱりでした。
 
 沢村貞子さんの良妻ぶりは今でも黒柳徹子さんの語り草になっています。
 私には、夫は演劇畑を渡り歩いた「ひも」にしか思えないのですが。

 これらのことを唯物論的弁証法に当てはめると「悪妻は良妻である 良妻は悪妻である」と言えるでしょう。

 私も悪妻を持てば出世できたかもしれません。

 悪妻を得て成功を収めた方がよいか、良妻に恵まれてボーッと生きた方がよいか、チコちゃんにきいてみたいものです。

 いや、もう結論は出ています。
 田辺聖子さんとカモカのおっちゃんのように、文句を言いながらも認め合い、頼りつつ頼られつつ、独立と共同をわきまえ、お互いに尊敬しつつ、とはいっても時には相手を尻に敷きつつ生活できたなら夫婦仲は最上と言えるでしょう。

 良妻か悪妻か、それはその人次第。外側からの判断や評価は当てになりません。
 
 「夫婦げんかは犬も食わない」とはよくぞ言ったものです。

 ほかにも夫婦間のことわざは数多くありますのでこちらをクリックしてごらん下さい。


1 611 朝日新聞
6/11 朝日新聞

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4 612朝日新聞 夕刊
6/12 朝日新聞 夕刊
コメント
この記事へのコメント
夫婦の事は外から分かりません

今は100歳まで長生きする時代ですが良いことばかりありません

共に白髪の生えるまで・なんて悠長なこと言ってられません

共に耳は遠くなり大声で怒鳴り合い・動作も遅くなり・物は垂らす

まだまだあります・毎日生きることが大変です

死ぬ時まで良妻か悪妻か相手が判断するだけ・疲れます
2019/06/19(Wed) 19:34 | URL | hana | 【編集
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