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 父の愛の大きさについては万人が認めるところでありましょう。

 ですが「世界中の人がお前を悪いというなら、世界中が間違うとる。」との西原理恵子さんのお父さんの言葉ほど大きなものには出会ったことがありません。

 なんという大きさでしょう。無限大の信頼感ですね。

 父の愛は信頼そのもの。

 「ゆるぎのない信頼」は母親にはまねができません。

 私は父を小6の時に亡くしましたが、中学を卒業してすぐ、二人の校長から父を超える大きな愛を受けました。

 私は中卒で就職した大阪の会社の宿舎の隣の女子高校の校長に音楽室のピアノを使わせてくれるよう必死の思いで願い出たのです。その校長は即座に卒業した巴中学校の校長と連絡をとって、私の願いをかなえてくれました。二人の校長は私に絶対的信頼を置いてくれたのです。

 この経験がなかったなら、私はイカレポンチになっていたかもしれません。何せミュージシャンや芸能人は半端人間だらけなのですから。

 そのときの二人の校長から母親宛てのハガキは宝物として大切にしたあまり、手元に見当たりません。確かに母から引き継いだのですが。もう一度探さなくては・・・。

 西原理恵子さんの父は2番目といいますから、いろいろな事情があるのでしょう。 

 著書の「洗えば使える泥名言」、ぜひ読んでみたいものです。


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昭和37年3月の頃
 昭和37年3月(もしかして4月)に鉾田町大和田のバス停で就職先の大阪にバスで旅立つ市村君を見送った日を思い出しています。市村君の家族と同級生数人でバスが見えなくなるまで手を振っていました。ピアノへの思いには胸を打たれます。市村君のピアノで忘れられないのは中学3年生で弾いていたクシコスポストです。→「野道越え遠く、山、川・・・走るよ走るよ郵便馬車」の合唱を思い出します。
2019/06/20(Thu) 07:38 | URL | 小野瀬壽 | 【編集
一番苦しいとき一人でも信じてくれる人がいると耐えられます

人生の中でそんな一人に合えた市村さんのご主人幸せですね

私も和裁の先生との出会いがなかったら今の私はいません

責任のある仕事が出来たから体も直そうとする努力で6回の手術も耐え76歳になっても仕事をいただきありがたいことです

人との出会いは私の宝物です

皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです
2019/06/24(Mon) 06:20 | URL | hana | 【編集
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