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     悪い子なんかいないんだ

      原保雄       柏樹社


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悪い子なんかいないんだ


 著者は原保雄先生。私が中学2年の時の担任です。私は原先生に作文のイロハとそれに伴う物の考え方を教えていただきました。原先生がいなかったら私の人生は違うものになっていたと思います。

 8月25日の「人生一編読書万編」で、精読する一冊を見つけるには100冊の乱読が必要、と書きました。この「悪い子なんかいないんだ」はその10倍の1000冊を読んで、やっと見つけることのできる1冊でありましょう。
 それほど濃い内容がつまっていますから、どこかを切り取って考えを述べることは不謹慎とも思われるのですが、皆さんにお知らせするためなので、どうかお許しください。

1ページ
 「はじめに」の 冒頭から度肝を抜かれます。
 育児は育自であり、教育は共育である
 小・中・高・養護学校などを務めあげられた原先生の結論でありましょう。 
 「はじめに」では、高校が高校の数だけ序列化している、ということを最大の問題ととらえています。中学の問題や塾の問題もそこから派生し、教師も親もそれに振り回されているとのこと。学校教育が知識編重主義に陥っている弊害が噴出、コミュニティーの崩壊が学校や家庭まで、など取り上げるべき問題点が指摘されています。
 そして、この本の全体像が。
 本書は、全体としてはその時々に私が発言してきたものでなりたっています。
 1 子供を追いつめたのは誰か。「悪い子なんかいない」私はそう絶叫したい気持ちです。
 2 子供と教師の魂の触れ合い。
 3 人の悩みとかかわるということ。「存在は行為に先行する」。 doingよりもbeing。
 存在=その人の人格、人間性、価値観、生き方、あり方。
 行為 =その人の言葉、態度、方法、業績、技術。

30ページ
 PTAの役員になり手がいないこと、生徒会の役員や学級委員にもなり手がないことが。
 まさに学校は社会の縮図なのですね。身勝手という民主主義の危機がここまでとは。

41ページ
 「ホテル家族」という言葉を知りました。
 それぞれが部屋をもち、それぞれがテレビ、ステレオ、カラオケ、ビデオとむかい合っている。そこでは家庭のだんらん、ぬくもり、あたたかさはどうなっているのであろうか。
 
66ページ
 人間を大切にすることを教える、いのちの畏敬を教える。これこそ、私は学校教育にしろ家庭教育にしろ、変わらない教育の本質であり、子供を導く、また人間の生きるべき、最低にして最高の価値観であると思う。価値観の基本にあるべきものである。
 そうした人間の心をもった人間を育てる、これは親になった父母の大切な役割だと思う。

93ページ
 「ある長欠児童との出会い」は涙なくして読むことはできません。
 原先生は私が中学2年の時も長欠児童をおろそかにしませんでした。学級委員だった私を連れて二人の児童の家を訪ねたのです。
 男の子のほうは家にいなくて会えません。親は口を濁していますが、どうやら働きに出しているようです。
 女の子のほうは病弱なうえ、今でいう学習障害でしょうか。お母さんは学校に行かせたいようですが、自身は全く行く気がありません。その後も何度か出かけましたが二人でとぼとぼと帰るばかりでした。
 このようなことを踏まえての「ある長欠児童との出会い」だったのでしょう。そこには先生が担任だった1年間だけ辛うじて登校した生徒との危機迫る日々が記されています。
 まさに聖書でいう「迷える子羊」の実践でした。

107ページ
 「ある対話」には私も散々お世話になった赤ペンでの生徒とのやりとりが記されています。
 迫害を受けた文集「スクラム」は私たちのあとに担任したクラスのものでした。発禁を図った人物は原先生の紹介で高校生の私が家庭教師をしていた女の子の祖父でした。なんという巡り合わせでしょう。
 そして、その発禁を阻止したのは原先生ではなく、生徒たちであったことを先日のお手紙で知りました。先生もすごいが、生徒たちはもっとすごい。驚きました。

135ページ
 「ちえおくれの子らとともに」の冒頭には
 私は自ら求めてはいった世界であるのに、かく苦しみ、悩み、迷っている。
 これはそのわずかに教育の真実を求めて生きようとしている、その記録である。
と。

 養護学校の寄宿舎舎監長となった原先生は間もなく体を壊してしまいます。それはそうでしょう。知的障害の姉たった一人と同居するだけで、私も妻も健康を維持するのが、やっとなのですから、60人もの養護児童の責任者となって、24時間生活を共にしたら精神がやられ、体はズタズタになってしまうでしょう。

 最大の問題は IQ測定不能から IQ 70のまでの児童が、ごちゃまぜになっていること。
 IQ70だと運転免許をとれる方もいるそうですから、赤ちゃんと大人を同じに扱っているような施設です。これはもうマンツーマンで養護をしても追いつかないでしょう。それを12人の寮母と7人の舎監でカバーしなければならない。単純計算で1人が3人以上の面倒を見ることになります。これが先進国と言われるこの国の現状なのですね。
 民主主義は多数決ですから少数派は切り捨てることが原則です。その切り捨てられた少数の人をどのようにフォローしているかが、その国の民主主義度を測る目安になります。

151ページ
 ちえおくれの子らが養護学校に入学するのは、普通児が公立学校に入学するよりも競争率においてむずかしく、入学できなければ行くところはないのである。
 私の姉もそうでした。50歳を過ぎた姉が母親の手に余り、私に養護方針がまかされました。でも大人の養護学校はありません。3年ほどかかってやっとNPO法人の養護施設に特別に入れることになりました。そのメダカストリームで名前を書くことを覚え、1000円以内の買い物をすることも教えていただきました。今は週4日デイサービスに行っていますが、その介護施設でさえ「学校、学校へ!」と言って、はばかりません。学校に行けなかった分、よほど学校に未練があるのでしょう。

154ページ
 いわゆる教育された人間が人間らしくなくて、教育されない人間の方が人間らしいということはいったいどういうことなのか。
 これは私が反面教師としてよく言う、大学なんか出たらバカになる、ということでありましょう。特に芸術やスポーツは教えられるものではありません。教えるとかえって芽を摘んでしまうことになります。生き方も。
 こうなると、先生のいう育自と共育を生徒に感じてもらうことしかできますまい。

157ページ
 真に子供の側に立つ、相手の立場になるということはどういうことなのか? ちえおくれの子らの教育の小さな窓を通してみても考えることは多い。
 ゆめゆめ教師は教育の名において、動物の飼育や、小さな機械づくりに、生徒をして、ますます孤独や人間不信に追いやることになってはならない、と私は自らをいましめるのである。

164ページ
次に示すのは私が教師として一貫して生徒に示してきた級訓である。
 「ひとりの喜びをみんなで喜び
 ひとりの悲しみをみんなで悲しむ
 ひとりの問題をみんなで考える
 みんながみんなでよくなろう」
 私が中2の時の級訓もこれでした。今でもはっきりと覚えています。もちろん暗唱できますよ。
 
 私は8月8日の「原保雄先生のその後」で、おもに60歳で退職なされた以後の消息をお知らせしました。
 この「悪い子なんかいないんだ」に書かれている文章のほとんどは、それ以前の現役時代に機関紙や雑誌に乞われて書いたものです。それだけに何とも言えない現場のにおいというか生々しい雰囲気があふれています。
 この、うそいつわりのない真摯な文章を読みながら私は、困惑し、嫌悪し、驚き、愕然とし、悲しみ、怒り、興奮。
 感情移入して散々泣いたあとに湧いてきた感情は、信頼、期待、安心、喜び、感謝、希望、そして尊敬と憧れでした。
 私は本当に原保雄先生の薫陶を受けることができて、しあわせ者です。
 
 原先生の人生を整理してみると、政治的には民主主義の下支え、経済的にはボランティア、社会的には名利を求めず、宗教的には自己犠牲、その生き方は宮沢賢治のいう「そういうもの」。一切の見返りを求めず「雨ニモマケズ」そのまま。
 私は中学2年生の時、この世で一番価値あるものはダイヤモンドと思う、と作文に書きました。
 その探していたダイヤモンドとは原保雄先生だったのです。


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目次
コメント
この記事へのコメント
誰だって自分のことを心配してくれる人がほしい
 市村君が紹介してくれた原先生の本の内容を読み感動しました。私は原先生のクラスの生徒ではありませんが、原先生はよそのクラスの生徒である私のことも自分のクラスの生徒のように心配してくれました。その頃からなんでこんなに心配してくれるんだろうと思っていました。「悪い子なんかいないんだ」という言葉は原先生以外の方からも聞いたことがあります。でも原先生の場合は心の底からそう思っているんだなとと思います。心底から思っているので本のタイトルになったのだと思います。
2019/08/30(Fri) 21:54 | URL | 小野瀬壽 | 【編集
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