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 念願がかない、無言館に行ってきました。

 戦没画学生慰霊美術館「無言館」はよく行く菅平から車で1時間ほどかかるので、わざわざ行かなければ行く機会がありません。
 
 終戦記念日前のNHK日曜美術館で「無言館の扉 語り続ける戦没画学生」との番組をみたので重い腰をあげました。

 窪島誠一郎館長のいう「画家は絵が存在する限り生きている。絵が無くなったとき、はじめて画家は死ぬ」を身をもって体験することに。

 なぜって、絵を見ていると、彼らと言葉が通じるような気がするから。

 入り口を入ってすぐの裸婦像がすべてを表しています。

 作者の日高安典君と長い時間語り合いました。

 彼は、今あなたは精いっぱい生きてますか、と問いかけてきます。

 彼の充実した27年と、私ののんびりとした73年。

 それは他の作者たちにも、さんざん言われました。

 私たちは10数年か20数年。あなたは73年。どう生きたのか、と。

 私は答えました。

 私は音楽家です。

 あなたたちを見て、戦没音楽学生がいたことを思い出しました。

 色や形が残る絵画や彫刻は唯物論的芸術といえましょう。

 それに対して、音楽はまったくの唯心論的芸術。

 出された音は空中に散らばり、なくなってしまいます。

 楽譜は 10年もすればつなぎ目が破れ、ばらばらになってしまう。

 天才的戦没音楽学生はたくさんいたはずなのに、彼らの足跡はまったくと言ってよいほど残っていない。

 彼らの無念さを思うと涙も出てきません。

 唯心論的芸術ゆえの不運としてしまってよいのだろうか。

 身内かもしれない一部の人の、一部の心に、やっと一部分しか存在しているかもしれないそれらを、せめて文章として誰か残してくれないものだろうか。

 生きていれば、世界的な存在になったかもしれないのだから。

 嗚呼・・・。


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無言館 

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無言館 

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パレット型の名簿

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名前

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別館
 
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別館

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暴漢の放ったペンキ

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開かないポスト

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裸婦(NHK日曜美術館より)

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日高安典自画像(NHK日曜美術館より)
コメント
この記事へのコメント
問いかけの意味がチョット違うかもしれないけど生きてきて経験した情景を思い出すと音楽ではないけどその時流行った歌が一緒に浮かんでくる

絵画だけでなく歌も1人一人の心の中に忘れることがなく生きていると思う

辛い思い出は尚深く心に残っているので形はないけど同じような気がする
2020/08/25(Tue) 16:34 | URL | hana | 【編集
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