FC2ブログ
足元を見る=街道筋や宿場などで、駕籠舁き(かごかき)や馬方(うまかた)が旅人の足元を見て疲れ具合を見抜き、それによって値段を要求すること。

 近代になっても、宿の客引きなどは下足を見て客の懐具合を判断しました。

足元につけこむ=相手の弱みを把握してつけこみ、自分により有利な結論を導くさま。

 芸能プロダクション詐欺などの常とう手段です。

 いずれも、こざかしい悪だくみで、人の風上にも置けないやからのすること、とお思いでしょう。

 しかし、よく考えてみて下さい。

 実は、これらのことを最大に利用するのは神様仏様なのですよ。

 まず、神社仏閣はこけおどしのため、壮麗な建築物で飾り立てられています。

 これらは神様仏様が造ったものではなく、人間が造ったものなのですから、よく考えればその正体がお分かりでしょう。

 人の心を安心させ、信じさせるための大道具です。

 それらの中で神職や仏教者はいろいろな小道具を使い、演じています。

 それが人の足元を見たり足元につけこむ作業なのです。

 やり方は教育者や医者と同じで玉石混交。

 身すぎ世すぎだけのものもいれば、真実人の為に尽すものも。

 しかし、いずれにしても、何かにすがりたいという人の弱みにつけ込むことから始まります。

 そして、それらのことは社会的なこととされているので、税制で優遇され、畏敬尊敬の対象ともなっているのですが。

 このことが逆にオウム真理教などの犯罪組織の隠れみのになっていることも事実でありましょう。

 とはいえ、大多数の迷える子羊たちは素直にこのシステムの中に取り込まれ、安住の地と思っています。
 
 ところが、この多くの人が信じている神や仏を信じない素直でない人もいました。

 宮本武蔵は自分自身だけを信じ、その筋道を五輪の書に著しています。

 織田信長は神や仏を信じないどころか、自分が神や仏になろうとしました。

 ブッダもキリストも、もともと人間なのですから、信長の考えは正しいと思います。
 
 今ある様々な新興宗教は信長のような人がやっているのでしょう。 
 
 つまり、もっとも神や仏を信じていない人が教祖様なのです。

 教祖様こそ、この世の最高職にして最も無信心な方。

 天皇陛下を考えればお分かりでしょう。


 人の弱みにつけ込む最たるものは神と仏。

 このことを心の片隅に置いておきましょう。

 以外にもこの真実に着目するのは幼少の子供たちで、大人たちは当たり前の日常生活にうずもれ、気がつきません。

 徒然草の最後は8歳の兼好法師が父親に疑問を呈することで締められています。

「仏とは何者でしょうか」

「仏は人間がなったもの」

「人間がどうやって仏に」

「仏の教えを受けて」

「ではその仏には誰が」

「前の仏に教えられて」

「その最初の仏はどんな仏か」

 こたえられなくなった父は

「それは天からふってきたか、土からわいてきたのであろう」

 と笑ってごまかします。

 兼好法師のような子供や、お賽銭の本質に迫ろうとする子供たちは道徳の教科化でどう評価されるのでしょうか。

 
1kDSC03532.jpg
神社

2zDSC03535.jpg
寺院
コメント
この記事へのコメント
なかなか難しくてわかったようなわからないような

単純な私は願事あれば単純に神仏に手を合わせるだけで深く考えたことないので良く分かりません
2020/10/19(Mon) 19:04 | URL | hana | 【編集
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック