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 私が子供のころ、車は村に1台しかありませんでした。

 それも、長い腕のようなハンドルのついたオート3輪です。

 子供たちは、それに乗せてもらいたくてしかたがありません。

 けれど、それには持ち主の子弟の許可がおりないとだめでした。

 そのことを父にいうと知り合いの醤油配達の車に便乗できるように頼んでくれました。

 知らない大人と1日中商店を回っても、おもしろいはずがありません。

 やはり、子供同士で、わいわいがやがや荷台で騒ぐから楽しいのです。

 そのときには大人になって自分の車を運転できるなんて夢にも思いませんでした。


 子供のころ、バスに乗ることは1年に何回かしかありませんでした。

 親戚に行くときか、水戸に自転車の部品を取りにに行くときだけです。

 子供は半額なので自転車屋をしていた父に使いに出されたのです。

 乗り込むとすぐ一番前に陣取りました。

 運転手の動作が目に入るからです。

 ギヤチェンジの間、片手運転になると、どこかにぶつかるのではと、ドキドキしながら、そのタイミングを覚えようとしたものです。

 そのときには大人になって自分の車を運転できるなんて夢にも思いませんでした。


 ところが、です。

 大人になったら、高嶺の花どころか、宇宙船のように思えた車が案外たやすく手に入りました。

 そのうえ、手品のように思えた運転が、これまた案外たやすくできるのですよ。

 どうしたことでしょう。

 車の運転は、だだっ広い運動場や滑走路のような場所を好き勝手に走るのならば子供でもできるのです。

 社会的規制がないから。

 社会的規制とは。


 交差点が見えてきました。

 右に曲がるのなら、早めに車線を変えて右レーンに入っていかねばなりません。

 左に曲がるならば車線変更はしないものの、アクセルをゆるめ、徐行しながらウインカーを出すでしょう。

 そのまま直進するときでも、前の車が直前で右左折しないか、そのために急ブレーキをかけないか、ウインカーを出さないかなど、注意をしていないと何が起こるかわかりません。

 私たちが運転をしているときには、このような無意識の判断が繰り返し行われています。

 それは瞬時のことで、あれこれと迷っている猶予はまったくありません。

 つまり、社会的規制をくぐり抜けていくためには一瞬一瞬の判断と選択が必要なのです。

 これはなにも車の運転だけとは限りません。

 よく考えてみると私たちは毎日の生活の中で瞬時のいとまもなく、交差点を前にした運転者と同じ判断と行動を求められています。

 いうまでもなく、その瞬時の積み重なりが人生を形作っていくのですから。

 右に曲がるか、左にするか、それともまっすぐ進むか、それが長い人生のすべてを決める判断かもしれません。

 それでも、ときにはバスに乗らなければなりません。

 知り合いの車に便乗することもあるでしょう。

 それは社会的規制が選挙や判決に組み込まれているからです。

 そのとき、その被選挙人や裁判官に命を預けても悔いがないでしょうか。

 ハンドルを人にまかせて車を走らせるのと同じくらい危険で、しかも自己を放棄したことになるのですが。

 人生のハンドルはできるだけ自分で握りたいものです。

 それができないときには子供の私がやっていたように、しっかりと運転手をチェックしていなければなりません。

 乗せてやらないといわれて他に逃げてもいけません。

 社会的規制をくぐり抜けていくためには戦うことも必要なのです。

 これらそれらを積み重ねることで、人生のハンドルは無為自然に切れるようになっていくでしょう。

 無為自然とは、じつはおおごとなのですよ。


DSC04o137.jpg
愛車のハンドル
コメント
この記事へのコメント
人生のハンドルは難しいです

今78歳思い返しても希望していたことの10個のうち3個位かな・・まあまあでしょう

84歳の夫と何とか日常生活がおくれて感謝しています

最後まで子供の世話にならず逝けたらバンバンザイです
2021/04/21(Wed) 17:43 | URL | hana | 【編集
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