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 今、山登りをする殆どの人はタイツに短パンをはいています。

 スキーヤーもレーシングスーツの上にコート下に短パンをはく人が増えてきました。

 ちまたでは相変わらず穴あきジーンズをはいている方が目につきます。

 それ以前にも、ずり下げズボン・ルーズソックス・しみちょろ、などがありました。

 これらは実用性はほとんどないので、ファッションなのでしょう。

 でも、ファッションとは美しさや個性を求めるものと思うのですが。

 これらに、美しさや個性がありましょうか

 私は、これらには実用性も個性も美しさもあまり関係がないと思います。

 たんに、みんながやっているから、わたしもやっているという、はずみ心なのでしょう。

 そう、皆と同じでないと気持ちが悪いという不安性同調心理に過ぎないと思うのですが。
 
 そのように自由な「ファッション」を謳歌していた若者たちも、いざ就活が始まると途端に全員がリクルートスーツになってしまいます。

 これは、社会からの強力な同調圧力があるからでありましょう。

 同調圧力といえば、今の日本社会にはコロナ禍によるものが多々あります。

 マスク警察や自粛警察などといわれる方は、少しでも足並みがそろってない人をみかけると黙っていられないのでしょう。

 まるで、コロナウィルスそのもののような嫌悪感があるかのようです。

 しかし、よく考えてみると同調圧力のすべて悪いわけではありません。

 民主主義というシステム自体がが良い意味での同調圧力なのですから。

 それらは法律や道徳といわれます。

 法律には同調しないと罰せられますが、道徳には同調しなくても罰せられません。

 なので、簡単にいうならば同調圧力とは道徳のことでありましょう。

 ところが、その中間に宗教というものがあります。

 この同調圧力は相当に強いもので、国によっては法律よりも強いかもしれません。

 整理してみると、全体主義的な法律による同調圧力、民主主義的な法律による同調圧力、宗教による同調圧力、道徳による同調圧力、と振り分けることができるでしょう。

 つまり、それぞれの国の特徴は同調圧力の種類によって現れるのです。

 言わずと知れた日本の特徴は道徳による同調圧力がすこぶる強いことでありましょう。

 なので、日本人が同調圧力に屈しないためには道徳と戦わねばなりません。

 さて、そこで小中学校で教科化されたことでもアカラサマになった道徳とは何か、ということになるのですが。

 道徳とは歴史と文化が培った心の規範でありましょう。

 「道」も「徳」も元は中国の観念ですが、今ではすっかり日本に定着した美的習俗とも言えます。

 これらの美的習俗には支配階級の武士道や庶民のお天道様信仰も入るでしょう。

 そして、これらの歴史と文化を培った場所が村社会というものです。

 武士社会や貴族社会も含めて。

 なにせ、村社会は奈良時代の戸籍などをみても分かるとおり、1500年以上も前からあるのですから。

 それにくらべて、私たちのいう社会、つまり、一般社会の概念が庶民にいきわたったのは100年にも満たないと思います。

 逆に戦前戦中などは村社会が強調されたのですから。

 ところで、村社会と一般社会の違いはおわかりでしょうか。

 村社会とは顔と名前が一致する人の集まりです。

 一般社会は名も知らず関係もない人々の集まり。

 これを拡大解釈すると、日本全体が村社会なのですよ。

 言葉や文化の違う外敵に侵入されたことは1度もないのですから。

 だから、外敵同士だったものが仲良く生活するための社会という概念が分かりにくいのです。

 つきつめると、今でも村社会が存在するということは一種の平和ボケでありましょう。

 外敵同士が許し合って建国した一般的な国々で、その習俗を認めたら分裂してしまうから。

 許し合いの国々ではイジメも起こりにくいと思います。

 イジメとは村八分なのですから。

 村八分とは火事と葬儀以外は無視するというものです。

 火事は類焼防止のため、葬儀は疫病防止などのためなので親切心からではありません。

 さて、これまでを整理してみると、日本の特徴的同調圧力の元である道徳は一般社会のものではなく、村社会のものである、といえましょう。

 つきつめれば、それは今や道徳といえるものではなく、単なる悪しき習俗というものなのですが。

 前述したように、若者たちが、そんなことに溺れている理由が私にはわかりません。

 毅然として、従わない権利を行使しましょう。

 ほかにも、これらの問題は数多くあります。

 体育会の絶対服従・校則の締めつけ・性的強制など、すべてのハラスメント。

 これらのことで、空気を読んではいけません。


中国は法律によって同調圧力を発している。
イスラム社会は宗教によって同調圧力を発している。
日本は習俗が同調圧力を発している。
つまり、日本の同調圧力は法律が発しているのではなく、その最低を規定する道徳の働きでもなく、単なる習俗が強力な同調圧力の担い手なのだ。
その恐ろしさは1500年もの積み重ねにある。
ゆえに、流行も、忖度も、永遠に近く続くであろう。

何に同調し、何に同調しないかで、その人の人格が決まる。
人は知らず知らずのうちに同調圧力を発している。
それはその人の人格が発している。
つまり、人格が同調を規定しているのだ。


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6/3 朝日新聞夕刊 9面 「自粛警察」監視し合う社会
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